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〈ルポ〉 「4強」支えた家族の奮闘 大阪朝高ラグビー部

ハングリー精神の原点

息子の成長を見守ってきたつもりが、ラグビー部みんなを好きになっていた

 「全国」高校ラグビー大会で2年連続のベスト4に輝いた大阪朝鮮高級学校ラグビー部。「花園」の舞台で強豪校をなぎ倒し「朝高旋風」を巻き起こした彼らの強さの裏には、支え続けた家族の姿があった。

離れて暮らす息子

金時裕さんの両親、金哲浩さんと夫貞順さん

 大阪・天王寺駅から特急に揺られること1時間40分、和歌山県・南紀白浜の手前、紀伊田辺駅に降りた。出迎えてくれたのは、近くで焼肉店を営む金哲浩さん(47)。金時裕さん(WTB)のアボジだ。

 大阪朝高は毎年、和歌山県内で合宿を張る。子どもたちの食事の面倒を見ることが恒例となっているが、この3年間は、普段会えない息子への思いがプラスされた。

 時裕さんは、大阪にある母方の実家から朝高に通った。紀伊田辺駅から始発に乗っても、始業時間に間に合わないためだ。「育ち盛りの息子の食事の面倒を見てあげられないこと」に毎日胸が痛んだとオモニの夫貞順さん(45)は振り返る。

 時間の許すかぎり、公式戦だけでなく練習試合にも応援に駆けつけた。準備した弁当を手に片道2時間。帰れば店を開けなければならない。辛くないといえばウソになるが、それ以上に会うたびに体が大きくなっていく息子の成長がうれしかった。

 2人には忘れられない言葉がある。和歌山朝鮮初中級学校の卒業式でのことだ。みんなの前で時裕さんは、「3年後、『花園』でプレーする」と宣言した。当時はそれが実現しようとは、それもベスト4に進出しようとは夢にも思わなかった。

 あれから3年、約束は果たされた。「最初は息子の成長を見守ってきたつもりが、いつの間にかラグビー部みんなを好きになっていた。今ではみんなわが子のよう」と哲浩さん。朝鮮大学校への進学を決めた息子の姿は、朝高ラグビー部にはもうない。でも、貞順さんは「朝高が『花園』に出られるように変わらず応援していきたい」と力強く語った。

あのときの誓い

金勇輝さんの両親、金衛さんと姜寿美さん

 「普段は無口でおとなしい息子が、あれほど激しいプレーを見せるようになるとは」と話すのは、金有宏さん(LO)のアボジ・金泰雄さん(56)だ。

 幼い頃はスポーツが好きな子ではなかった。東大阪朝鮮中級学校に入学後、城北朝鮮初級学校幼稚班から幼なじみだった主将の金寛泰さんの影響もあり、ラグビー部の門を叩いた。「初級部の頃はサッカーをしていたが、全然ダメだった」とオモニの田末子さん(52)は笑う。

 しかし両親の予想に反し、息子の成長は早かった。07年11月、東大阪中級ラグビー部は、近畿大会決勝に進出。惜しくも2点差で優勝に手が届かなかった。「もともと朝高に入ったら違うクラブに入ると言っていた息子が、優勝を逃して『みんなで朝高で全国制覇しよう』と誓い合ったと言っていた」と泰雄さん。

 「ラグビーは一人でできるスポーツではない。あの子の中に『チームのために』という気持ちがあったから、がんばれたのだと思う」(末子さん)。今でも、夫婦はラグビーの細かなルールまではわからない。それでも、「どんなプレーもいとわない、有宏の一生懸命さは伝わる」と目を細める。

 末子さんにとって、この1年でもっとも忘れられない光景が、春の選抜大会だった。大阪から遠く離れた埼玉県で行われたこの大会に、関東の多くの同胞たちが駆けつけ、惜しみない声援を送ってくれた。「小さな子どもたちもたくさんいて、うれしくて涙が出た。親として感謝の気持ちでいっぱいだった」。

 今はまだ、「花園」の話を息子とできないという。「一番悔しいのは子どもたち。もっと時間が経って、いつか今回の大会のことを笑って話し合う日が来ればいい」。両親のひそかな願いである。

民族教育の誇り

「全国大会」準々決勝終了後、応援スタンドに向け笑顔を見せる選手たち

 ゲームキャプテンとしてチームを引っ張る存在だった金勇輝さん(CTB)にとってラグビーは、アボジ・金衛さん(47)の影響で、生まれた頃から身近にあるものだった。

 衛さんは大阪朝高ラグビー部9期生で、昨年までOB会会長(3代目)を務めた。

 センスの光るプレーを見せる勇輝さんだが、アボジいわく「もともと身体能力が高いわけではない」という。「ただ、人一倍意志が強かった」。勇輝さんの兄・誠太さん(22)は、東大阪中級ラグビー部の1期性。同部創立のために尽力したのが衛さんだ。衛さんは、小さい頃から兄と自分を比較しながらラグビーに取り組む次男の姿に目を細めた。

 オモニの姜寿美さん(47)は「勇輝は初・中級部時代は体が小さかったけど、気持ちの強い子だった。当時から気持ちでプレーしていた。東大阪朝鮮初級学校ではサッカー部に属しながら、地元ラグビースクールにも通っていた。仲間に恵まれたこともあってどんどんラグビーが好きになった」。

 家族には一つの決め事があった。学校、クラブ活動、そしてラグビースクールの3つを駆け持つ毎日。その中で「学校行事を最優先させた。民族教育の中で育っているという強烈なポリシーを持ってもらいたかった。朝高ラグビー部の強さは、そこに民族教育という柱があるからだと思う」(衛さん)。勇輝さんも将来、自分の子どもをウリハッキョ(朝鮮学校)に入れたいと話しているという。

 朝鮮学校はいま「高校無償化」問題に揺れ、こと大阪においては「補助金」支給停止の状態にある。「子どもたちには、朝鮮学校のすばらしさをアピールしたいというハングリーな気持ちがある。子どもたちを見ていて思うのは、彼らは日本の高校生と背負っているものが違うということ。同胞たちの期待に応えたいという思いこそが、子どもたちの強さを後押しした」。

 息子たちの目の輝きは、夫婦の一生の宝物だ。(鄭茂憲)

[朝鮮新報 2011.2.9]