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〈あの日、トンポたち 総連全盛期の記録〉 夢の祖国訪問

1972年7月30日付の朝鮮新報

 1972年、当時、横浜朝鮮初級学校6年生だった徐錫姫さん(50、現・広島朝鮮初中高級学校中級部教務主任)に思いがけない吉報が舞い込んできた。横浜初級の音楽舞踊部員と東京朝鮮中高級学校のサッカー部員たちが、朝鮮社会主義労働青年同盟(当時)中央委員会の招待を受けて祖国を訪問するチャンスが訪れたのである。

 朝鮮学校の生徒、教員たちが祖国を訪れることは、祖国解放以来、初めてのこと。在日朝鮮人に対する朝・日間の自由往来が全面的に認められていなかった当時、祖国を訪れることは夢のような話であった。

 祖国訪問がかなった時は、「純粋にうれしかった」と徐さん。教科書や映画、先生の話を通じてのみ知っていた祖国は、幻想の中の世界だった。祖国で過ごした40余日間は、「夢のようだった」と述懐する。

 平壌の飛行場に降り立った一行の目に飛び込んできたのは、手旗と花束を手に出迎えてくれた20余万人の青少年学生たちと勤労者たちの姿。その列は、6`b沿道まで続いていたという。「それこそ国賓級の待遇。まるで一国の大統領を迎え入れるような歓迎ムードだった」。

 各地の巡演やサッカーの練習試合など充実した日々を過ごしていた一行に、8月18日、さらに夢のようなことが起こる。金日成主席との会見だった。その日、平壌少年学生宮殿で公演準備をしていた生徒たちは、主席の姿を確認するや否や、一目散に主席の懐に飛び込み、すがりついた。主席は、一人ひとり生徒たちを抱擁し、頭をなでてくれた。主席の胸元はいつの間にか子どもたちの流す涙で濡れていた。生徒たちと席をともにし、一人ひとりに名前や学校の話などを尋ね、2時間あまり談話を交わした。生徒たちの公演を観たときも、誰よりも先に大きな拍手を送ってくれた。

帰還後、各地で公演を行った

 当時の様子を、「数十年が経った今でも鮮明に覚えている」と語る徐さん。近くにいる子どもより、遠くにいる子どもを案じ、慈父のように愛しむ主席の姿が目に焼きついている。その後、主席は、9月2日に行われた平壌市青少年学生たちとの連環会にも参席し、生徒たちを鼓舞した。

 帰還後、一行は日本各地で帰還報告を行う多忙な日々を送った。同胞たちは、主席と会見し、在日同胞たちの「夢」であった祖国往来を遂げた生徒たちを熱烈なムードで迎え入れた。

 徐さんは、「やっぱり原点は初6のあの体験だった」という。当時は、幼かったゆえに夢のような日々を送ったという感触だったが、大きくなるにつれ、当時を振り返るたびに、「あの時の経験が今につながっている」と実感するようになっていった。教員になったのも、そして、あれから39年が経とうとする今も教壇に立ち続けているのも、祖国の恩恵に応えようという思いが心の中にずっとあったからだと話す。「祖国と私は一心同体」。この思いが揺らぐことはない。

 徐さんの希望は、死ぬまで教壇に立ち続けること。そんな気概と心持ちで生徒たちの前に立っている。

 修学旅行、研修、通信教育、ソルマジ(迎春)公演…あの時から、朝鮮学校の生徒たちの祖国訪問は、今もなお途絶えることなく続いている。

[朝鮮新報 2011.2.9]