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京都造形芸術大で尹東柱追悼会、統一と平和誓った参列者たち

尹東柱の詩碑に献花する参列者たち

 抗日民族詩人・尹東柱(1917〜1945)を追悼する集会が命日の16日、京都造形芸術大学(京都市左京区)で行われ、徳山詳直理事長をはじめとする大学関係者と同胞、日本市民らが参列した。総連京都府本部の呉鳴夢顧問、民団京都府本部の王清一団長らが来ひんとして招かれた。

 京都造形芸術大学高原校舎の入口には尹東柱をしのぶ詩碑が建っている(2006年建立)。戦前、同志社大学に在学した尹東柱が暮らしたアパートが建っていた地だ。この日、参列者たちは詩碑に向かって黙とうをささげ献花した。

書芸作品を展示した金さん(右)と村上さん(左)。徳山理事長と記念撮影

 力強くも清らかな人間味あふれる尹東柱の詩は、同胞のみならず日本人からも愛されている。植民地支配という暗い時代に正面から向き合った彼の精神は、朝鮮半島の統一と朝・日友好を願う人々の心の中に受け継がれている。

 大学内に場所を移して行われた交流会では、大学関係者や来ひんらが詩のフレーズを引用しながら各々思いを語った。

 呉鳴夢顧問は、祖国と民族を愛した尹東柱の志を受け継ぎ、統一実現に向け邁進したいと語った。徳山詳直理事長は「命あるうちに南北朝鮮が仲良く手を携えて生きていく姿を見たい」とし、東アジアの平和への願いを切に語った。

尹東柱との縁について語る徳山理事長

 会場には、高麗書芸研究会常任理事で在日本朝鮮文学芸術家同盟京都支部書芸部顧問の金日晸さんと美術を通した日朝交流を進める日本・コリア友好美術展実行委員会代表の村上敦子さんの書芸作品14点が展示された。尹東柱の代表作「序詩」をはじめ民族への思い、平和への願いが込められた詩の一部を日本語と朝鮮語でそれぞれ書き上げたものだ。

 尹東柱は1943年、朝鮮語での詩作活動が独立運動とみなされ「治安維持法違反容疑」で逮捕され、1945年2月16日に福岡刑務所で獄死した。当時、福岡刑務所は九州大学医学部の生体実験と深く関わっており、尹東柱も「殺された」とする説が近年、有力視されている。享年28歳。

 また、福岡刑務所の環境は劣悪で、「治安維持法違反」で収監された朝鮮人に対する拷問や虐待の疑いも指摘されている。同時期に収監された従弟の宋夢奎も同年3月に獄死した。こうした不審点から、当時の裁判記録の開示や押収された可能性のある詩稿の調査などを求める市民団体もある。

「不思議な縁」語る徳山理事長

尹東柱との縁について語る徳山理事長

 徳山詳直理事長は尹東柱との「不思議な縁」について語った。

 尹東柱の詩碑がある高原校舎は京都造形芸術大学発祥の地。今の瓜生山キャンパスが建てられる前は本校舎だった。理事長は戦後、学生アパートがあったこの土地を購入したが、尹東柱が生活していたことを知ったのは後のことだった。

 1950年、理事長は朝鮮戦争に反対する運動に身を投じた。戦争で使用される爆弾の搬送を阻止しようとして逮捕された。

 「尹東柱先生が民族独立の闘いの途上で獄死してから5年後、私の闘いは朝鮮との関連で始まった。そしてこの地に大学を創立し、芸術を通した平和を追求している。私の青春がこの地で始まり人生のすべてとなった。運命的なものを感じる」

 理事長は、朝鮮の独立のために闘った尹東柱の精神を顕彰する思いで詩碑に祈りをささげたという。そして、植民地支配と戦争加担という日本の歴史的責任について言及しながら、「日本人は朝鮮の統一と世界平和のために闘う義務がある。東アジアの平和と安定、それこそが日本の生きる道だ」と指摘した。

 理事長は朝鮮の大学との提携、学生の交換などについても意欲を示した。(李泰鎬)

[朝鮮新報 2011.2.19