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東日本大震災 「焼肉塾」の救援隊が石巻市で炊きだし

焼肉でほっとひといき

「焼肉塾」のメンバーたちは石巻市役所前の駐車場で炊き出しを行った。

 商工連合会と青商会中央の協力を得て結成(2003年)された「同胞若手飲食業経営者研究会(通称=焼肉塾)」の救援隊が23日、東日本大震災によって被害を受けた宮城県石巻市を訪れ、被災した同胞、日本の人々のために炊き出しを行った。

 救援隊は、東京と京都で飲食店を経営する「焼肉塾」メンバー5人と、商工連合会の担当者1人で結成された。冷蔵車とワゴン車いっぱい積んだ、牛肉360kg、豚、鶏肉、ウィンナー合わせて120kg、キムチ40kg、汁100人前の具材、米270kg、飲料水などの救援物資を使い炊き出しを行った。

 今回の救援活動は、大震災により被災した東北地域の「焼肉塾」メンバーを元気づけ、被害の大きかった地域で避難生活を送る同胞をはじめとする被災者に、温かい肉やごはんを賄い、少しでも力になりたいと行ったもの。宮城県青商会のメンバーも現地での炊き出しを手伝った。

 炊き出しは、石巻市役所前の駐車場で正午から行われた。供給場所を決めるのに時間がかかったため事前に地域住民へ炊き出し情報が伝わらなかったものの、食欲をそそる匂いに誘われ人々が集まり、あっという間に行列ができた。

 訪れた被災者の中には、地震と津波被害によって自宅と家族を失い現在は避難所での生活を余儀なくされた人も少なくない。生活基盤を失い、一日一日を大変な状況の中で生きている人たちも、「焼肉塾」メンバーらが賄う炊き出しに、笑顔をひととき取り戻したようだった。

 同胞の営む遊戯業店で働く金鐘槙さん(43)は、息子とともに訪れた。津波により自宅が被害に遭ったため、現在は比較的被害の少なかった石巻市内の親戚宅に身を寄せているという。焼肉を食べた金さんは、「青商会が被災地までこんなにおいしい肉やごはんを届けてくれて本当にありがたい。生活はまだ大変だが、地域同胞が心をひとつにして必ず乗り越えてみせる」と話した。

 石巻市在住の青商会メンバー白チャドルさん(36)も、今回の震災で自宅と経営していた遊戯業店を失った。白さんは、「被災地では全ての物資が不足しているため、命を守るのに精一杯だ。

 もちろん肉など食べられる状況ではない。生活拠点を丸ごとなくし途方にくれている現状。だけどそんな人々も、今日ばかりは、笑顔を浮かべているようだ」と話した。彼はまた、「震災後、早い段階から総連が現地を訪れ救援物資を届けてくれた。今回の震災に関して言えば、自分は感謝の言葉しか出てこない」と語った。

 市内でも、津波被害が大きかった南浜町から訪れた大川享子さん(37)は、「家がまるごと津波に流されたため、5人家族がしばらくは避難所で生活しなくてはいけない状況だ。在日朝鮮人の方々が、私たち被災者のためわざわざ遠方から炊き出しに来てくれて、本当にありがたい」と話した。そばにいた子どもたちは、「とってもおいしい!」と満面の笑みを浮かべていた。

 住吉町の自宅が完全に破壊され、近隣の日本学校で避難生活を送る67歳の男性も、「久しぶりに焼肉を食べた。おいしくて、生き返った気がする」と話した。

 この日、「焼肉塾」メンバーらは2時間にわたり炊き出しを行い、約100kgにもなる肉とごはん、キムチを被災者へ供給した。

 被災者らが「本当にありがとうございました」とあいさつすると、メンバーらが「がんばってください!」と励ます姿も多く見られた。

 東京で焼肉店を営む李久和さん(38、文千地域青商会)は、「被災地の悲惨な状況に衝撃を受けたが、自分たちが賄う焼肉を食べる住民たちの姿を見ると、東京から駆けつけたかいがあったと思う」と話した。

 兵庫県尼崎市出身の李さんは、1995年に阪神淡路大震災を体験した。被害が深刻だった神戸長田で同級生の安否確認に駆け回った経験について話し、「今回も被災した人たちのために、何かしなければと思った」と胸のうちを明かした。

 「焼肉塾」の金義広会長(京都府青商会会長、兼青商会中央常任幹事)は「復興のためにがんばる被災者の姿を見て感じることが多かった。これからも『焼肉塾』が出来ること、また、地域単位でできることを考えながら被災者の救援を行っていきたい」と語った。

 炊き出しを終えた一行は、仙台市内にある東北朝鮮初中級学校を訪ね物資を届けた。また同日夕方には、福島朝鮮初中級学校にも食事を届けた。

 総連緊急対策委員会宮城県本部は「焼肉塾」一行が提供してくれた材料を使い24日にも若林区の蒲町中学校で、焼肉の炊き出し(600人分)を行った。(李相英)

[朝鮮新報 2011.3.25]