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東日本大震災 大阪同胞の「熱い思い」乗せ、救援隊が出発

物資をトラックに積み救援隊を見送った活動家たち

 大阪の同胞たちが持ち寄った救援物資を積んだトラックが、25日夜9時、被災地に向けて出発した。

 総連大阪府本部では、東日本大震災の被災同胞を救援するための募金運動を展開すると同時に、被災地に送る救援物資の提供を地域同胞に呼びかけた。

 大阪でも水、乾電池、懐中電灯、カセットコンロ、ラジオなどが品薄となっており、まとまった物資を集めるのが難しくなっている。そうしたなかでも24、25の2日間で、米、飲料水、即席麺、キムチ、野菜を含む食料、日用品、医薬品、燃料など、数多くの物資が同胞、学生らによって持ち寄られた。

 その数は約150種類、3万95点。そのうち急を要する物資を中心に、3分の2を積んだところでトラックの荷台がいっぱいになった。残った物資は、被災地の様子を見ながら第2陣として届けることになった。

 ある支部の活動家は「同胞たちに呼びかけたところ、すぐに持ってきてくれた。同胞の愛情、組織の底力を感じた」と感激していた。

 トラックには総連本部の金龍元・権利福祉部長ら3人が乗り込んだ。総連本部の夫永旭委員長をはじめとした活動家たちは、「大阪の同胞の熱い思いが込められた救援物資を無事に届け、被災地の同胞を勇気づけてほしい」と 、3人を見送った。

被災同胞の受け入れも

 大阪では被災同胞の受け入れも進められている。すでに、支部や分会などで10数家族を受け入れる準備が整ったという。

 総連生野西支部には、被災地から避難してきた同胞一家の姿があった。車中や公園などで避難生活を送りながら大阪にたどり着いたという。

 大阪朝鮮第4初級学校を訪ねて来た一家を、校長と支部委員長らが温かく迎え、支部の1室を提供した。それを知った同胞たちは、布団や食料を差し入れた。

 一家の父親は「震災後、ガソリンを手に入れるのが困難で食料も尽きた。とくに放射能が怖い。子どもが多いので、すぐに被災地を離れなければならなかった」と被災地の苦しい状況を語った。千葉や神奈川に向かったものの、そこでも物資を得るのが困難で、「とにかく西を目指した」という。

[朝鮮新報 2011.3.26]