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大震災の現場で

 既視感を覚えた。

 子どもの頃からブラウン管を通じて幾度となく見てきた、毎年8月15日に近づくと各メディアが放映する、敗戦直後の焼け野原。

 脳裏にある痛ましいモノトーンが、今度は、すべての色を鮮明にしながら、激しく眼球をえぐる。

 大震災から2週間が過ぎてなお、岩手県沿岸部は、まさに「戦後」だった。

 春の始まりを告げるはずの3月下旬なのに、被災者に追い討ちをかけるような冷たい雪が舞う。「夜が寒くて…」。避難所生活を送るある同胞がこぼしていた。

 家も店も根こそぎ津波にさらわれ、明日の生活すら靄の中を漂う現地。極限の状況に暮らす同胞たちに、何をどう語りかけていいのか迷った。思い出したくもないはずの被災時の記憶を語らせ、「復興」という言葉が余りに遠くに感じられる中で「今後」のことを聞く、記者の浅はかさ。

 それでも同胞たちは、「わざわざありがとう」と温かく迎えてくれながら、嫌な顔一つ見せずに答えてくれた。

 いま一番何がしたいか−。何人もが「仕事がしたい」と話した。収入を得るために、ではなく、「普通の生活」の証として。

 震災の傷はあまりに深く、復興への歩みはまだ小さい。それでも前へ進もうとする同胞たちのために、今後何ができるのか。物、金、人…。必要なものは限りない。一過性の支援ではなく、被災地の同胞が気兼ねなく頼れるように、同胞社会全体での支援を続けたい。(茂)

[朝鮮新報 2011.4.4]