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東日本大震災 震災から約1カ月 宮城で見た同胞の底力

ウリハムケがんばろう!

 「同胞のみなさん、大震災から1カ月が経った今日、私たちは本格的な復興段階に入ります。なによりも学校復旧事業に全力を注ぐため、東日本大震災宮城県被害復旧委員会を結成します」。12日、総連緊急対策委宮城県本部の李英植委員長(総連宮城県本部委員長)のはつらつとした声が東北朝鮮初中級学校食堂に集った県下同胞の耳に鳴り響いた。宮城同胞社会は復興、再生へと向けスタートを切っている。「大地が揺れても笑って進もう!」「ウリハムケがんばろう!」と声を掛け合い、相互扶助の精神でがんばっている。

救援物資の力

復旧委員会結成の会合で力強くスローガンを叫ぶ同胞と生徒たち

 3月11日、午後2時46分。震度6の大地震が宮城を襲った。

 そのとき、ちょうど列車内にいて死を覚悟したという李英植委員長をはじめ、県内の活動家や朝青員たちが直ちに東北初中に集まった。

 その後、対策委が置かれた学校に各地の総連組織や同胞たちから救援物資が届いた。対策委の女性陣はおにぎりを作り、男性陣はカップラーメンや米、水などの物資を車に満載し、津波被害の甚大だった沿岸地域や仙台市内を縦横無尽にまわった。総連はもとより民団、未組織を問わずすべての同胞に分けへだてなく物資を届けた。

 「各地の同胞から集まった物資を持ってきました!」という対策委メンバーの声を聞くや、避難所で生活していた同胞は笑顔を取り戻し、そして涙を流した。

 「おにぎりがまだ温かい。本当にありがとう。組織と同胞の情がこんなにも温かいのか…」

 沿岸地域でパチンコ店を営む女性は、対策委が震災後初めて自宅を訪れたときに受け取ったおにぎりを両手に持って嗚咽していた。地震後、ライフラインが途切れ、食料がほとんどない中、アルミホイルに包まれた温いおにぎりは、数時間前に対策委の女性陣が作ったものだった。

「祖国」を実感

被災した同胞同士が力を合わせてがんばっている(写真は炊き出しを行う現地の女性同盟メンバー)

 被災した同胞を包んだ愛。それは、各地から続々届けられた支援物資や対策委の活動だけではなかった。

 3月24日、朝鮮中央通信は金正日総書記が地震と津波により被害を受けた在日同胞に慰問金50万ドルを送ったと伝えた。今月6日には総連中央緊急対策委委員長の許宗萬責任副議長が宮城入りし、東北初中で伝達式が行われた。翌日には沿岸地域をまわり同胞に慰問金が直接手渡された。

 沿岸地域で焼肉店を営む男性は、責任副議長から慰問金を受け取り、深々と頭をさげた。責任副議長がその場を離れた直後、記者が慰問金を受け取った感想を訊ねると、その同胞の目から涙がこぼれた。

 「『がんばれ!』という総書記からの熱いメッセージだと思い、何があっても店の再開にこぎつけたい」

 震災直後から同胞が流す涙を幾度も見た。それらは悲しみや絶望の涙だけではなかった。

 海を越えて届いた慰問金を中央対策委の責任者から直接受け取った被災同胞らは、感激を隠さなかった。そのような姿に刺激された若者たちもいた。20歳のある朝青員はこういった。

 「『祖国』という二文字を実感した」

 朝鮮戦争からわずか4年後、祖国が戦後復興の途上にある困難な時期に金日成主席の配慮で送られてきた教育援助費で民族教育が花開き、今日の同胞社会がある。そして大震災の被災のさなかに送られてきた貴重な慰問金はまさに復興に向けて懸命に立ち上がろうとする同胞たちに勇気を与えた。被災地の朝青員もそれを体験した。

 「私にとっては、宮城同胞社会の新たな歴史の1ページを目撃する日々であり、『朝鮮人としての自覚』を心に刻む日々だ」。

相互扶助の精神

 被災した同胞同士が手を取り合い力を合わせ、明るい未来を創っていこうという気運が広がっている。

 震災から9日目の3月20日、宮城対策委では同胞だけではなく、日本市民も対象にした炊き出しを東北初中近辺の中学校で行った。大好評だった。感謝を伝える日本市民の表情、国籍や民族を超えた被災地での交流の様子が地元のテレビで紹介された。朝鮮学校への補助金ストップなど震災後に行政側が示した理不尽な態度とは対照的な光景が、その後も県内で繰り広げられている。

 震災当日を思い出したくないという同胞は多い。余震は今も続いている。天災による恐怖を体験し、気がつけば下を向きそうになる。それでもみんなと一つになり、相互扶助の精神を発揮するとき、「自分が強くなれる」と感じる同胞は多い。

 3月27日、東北初中卒業式の公演で、中級部卒業生は同胞社会の一員としての決意を表明した。あの日、大きく揺れた校舎で泣き叫んだ生徒たちの心も、復興を目指す宮城同胞の姿に励まされ、折れていない。

 「どうにか店を再建したいと思っている。40年以上守ってきたこの店を津波で手放すことなんてできない。地震に負けてはいられないじゃないですか」

 沿岸地域でパチンコ店を経営する女性は最近、心機一転、髪を短く切って対策委メンバーにこう話した。震災後に両手でしっかりと受け取ったあの温かいおにぎりが、彼女の心を突き動かしたかもしれない。

 祖国、組織の大切さを噛みしめ、復興に向けて立ち上がる同胞たちの姿がある。12日には復旧委員会が発足した。この日の会合では、復旧委員会委員長に就任した宮城県商工会の「萬石会長が「いまこそ同胞たちの底力、強い団結心を発揮するときだ」と訴えた。在日1世たちのように、無から有を創りだそうと。そして2人の朝青員が立ち上がり、拳を振り上げながら力強くスローガンを叫んだ。(李東浩)

[朝鮮新報 2011.4.20]