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政府主導の差別に断固反対! 「ピンチをチャンスに」

われわれの力で民族教育を守ろう

 「公立高等学校に係る授業料の不徴収および高等学校等就学支援金の支給に関する法律」、通称「高校無償化法」は、「高等学校などの教育における学費を軽減することで高等学校への学習機会の均等に寄与する」目的で成立した。

 しかし、同じ高校生である朝鮮高級学校生徒たちには、いまだ就学支援金が支払われていない。

 日本政府が公然と差別を繰り返すことにより、「朝鮮学校では反日教育が行われている」などのひぼう中傷が広がり、新たな差別を生んでいる。

 発端は一部政治家の偏見と暴言だった。

 当初、鳩山政権は、「学校教育法」上の「各種学校」である外国人学校について「高校無償化」制度の対象となり、朝鮮学校も当然含まれるとしていた。

 しかし、中井洽拉致問題担当相(当時)が拉致問題を引き合いに出し、朝鮮学校を対象から外すよう文部科学相に要請。ここから事態は急変した。

 橋下徹・大阪府知事は、朝鮮学校の教育内容や運営方法を公然と中傷し、これまで支払われてきた「補助金」の支給まで止めた。

 日本政府は、日本国憲法や国連諸条約に違反しているとの内外の批判にもかかわらず、朝鮮学校を排除したまま「高校無償化」制度をスタートさせた。

 菅直人首相は、「外交上の配慮などで判断すべきものでなく、教育上の観点から客観的に判断すべき」との政府見解に反し、朝鮮西海での砲撃戦を口実に審査プロセスを停止させるなど、結論を先送りしてきた。

 こうした差別に対し、各地の朝高生や保護者をはじめとする同胞らは、「われわれの手で民族教育を守ろう」と立ち上がり、日本市民らと連帯して集会やデモ、署名活動を地道に行い制度適用、差別撤廃を声高に訴えた。運動は日増しに広がり、署名、集会参加者、要請や抗議声明の数となって顕著に表れた。

 一方、神奈川朝鮮中高級学校を訪問した松沢成文・神奈川県知事は留保していた「補助金」支給を認め、大沢正明・群馬県知事は「砲撃事件と切り離して考えるべき」として継続交付の毅然とした対応を見せた。日本政府の矛盾した言動を指摘し、朝鮮学校を正当に評価しようとする動きは広がっている。

 皮肉にも、あからさまな差別が民族教育の正当性、朝鮮学校の存在意義に光を照らす結果を生んだ。差別撤廃を訴え立ち上がった朝高生、各地で幅広く活躍する卒業生の姿を見て、あらためて民族教育の素晴らしさを感じたという人も少なからずいた。

 昨年、多くの法律家や活動家らが指摘した「ピンチをチャンスに変えよう」という考え方は、人々の意識に根づいた。朝鮮学校や民族教育の全般的な権利保障、在日朝鮮人の安定的な地位確立を目指したより広範な運動に向けた、確固たる足がかりになる。

孔連順 神奈川朝鮮学園オモニ会連絡会代表 明るい未来を築くため

 朝鮮高級学校だけを「高校無償化」制度の適用対象から除外すると聞いたときは、またしても差別社会の現実を突きつけられた思いがした。

 私が初めて直接的な差別を体験したのは、小学生の頃。当時、通っていた日本学校で朝鮮人だということを告白すると、周囲の対応が一変。無視されたり罵声を浴びたりした。

 こうした体験から、未来を生きる子どもたちに私のような悲しい思いを絶対にさせてはいけないと強く思った。明るい未来を築くことが、今を生きる「大人の責任」だと思っている。

 「高校無償化」問題は、本質的には民族教育に対する人権侵害だ。

 今回の問題にどのように取り組んでいくかによって、朝鮮学校の今後の方向性が大きく左右されると考えている。

 それだけに、絶対に妥協したり未解決になったりしないようにこの問題と向き合っていきたい。

 日本政府が朝鮮西海での砲撃事件を口実に「高校無償化」適用の審査プロセスを停止しているなか、神奈川県と横浜市教育委員会は保留にしていた補助金の交付を決定した。

 この間、朝高生たちは、街頭で声を枯らしながら必死に朝鮮学校への適用を訴えてきた。

 高3の生徒たちが自信を持って卒業できるように、遅くても今年の3月までの実現に向け、最後までたたかっていきたい。

朱幸枝 城北朝鮮初級学校オモニ会会長 自慢のウリハッキョ

 「高校無償化」制度から朝鮮学校だけが除外され、大阪府は「外国人学校振興補助金」の支給を保留したまま。これは、本当に切迫した問題だ。この状態が続けば保護者たちの負担は増え、いくら朝鮮学校に送りたくても、日本学校に送ることしか選択肢を持ちえない人たちが増えていくと思う。

 朝鮮学校に通った経験はないが、保護者として子どもたちの姿を見てきたので、日本の教育では学べないものが朝鮮学校にはあると実感している。日本人として生まれたかったという思いすら抱いていた学生時代の私にとって、親友と呼べる基準は、その子に自分の出自を明かせられるかどうかだった。

 私の子どもたちは、自分と同じような存在の友人に囲まれ、幼い頃から朝鮮人ということを自然と自覚し、朝鮮語を話している。その姿を見るたびに朝鮮学校のすばらしさや必要性を強く感じる。朝鮮人としての誇りを持つことは、机の上での勉強だけで身につくものではないはずだ。

 朝鮮学校の保護者として14年。長男の入学前は朝鮮学校に対する偏見から日本学校に送りたいと思っていたが、今では子どもたちがウリハッキョで学んでいることが私の自慢だ。

 日本の人たちに言いたいことは、冷静な目で朝鮮学校を見てほしいということ。そうすれば朝鮮学校が日本に存在する意義はわかるはずだ。

文美加 朝青埼玉・南部支部朝青員 問題への関心を呼びかけ

 昨年2月、朝青活動に参加したことを機に朝鮮学校への「高校無償化」適用を求めるビラ配りや署名運動に携わるようになった。

 朝高卒業後、同胞社会と離れて暮らしていたこともあり、将来子どもが生まれれば日本学校に入れたいと考えていた。また、朝青世代の自分にとって、「高校無償化」問題に関する切迫感も希薄だった。

 しかし、朝青活動を通じ、地域の同胞青年らとつながりを築いていく過程で、子どもは絶対に朝鮮学校に通わせたいと強く思うようになった。

 実際に街頭署名に出てみると、冷たい反応に接することもあった。

 その中で、朝鮮学校の「無償化」除外が単なる授業料の問題ではなく、日本社会に根強く残る差別構造の中で生まれた問題であるということを痛感した。

 そして、私たち朝青世代が親になったとき、子どもたちが堂々と朝鮮学校に通えるように、自分の問題として、朝鮮学校への差別撤廃を訴えていかなければいけないと思った。

 「高校無償化」を実現するために、一人でできることは決して大きくない。けれど、みんなで力を合わせ、街頭宣伝などの地道な活動を通じて人々の関心を少しでも喚起していきたいと思う。

 「高校無償化」問題は今年へ繰り越しになってしまったが、今後も宣伝活動や署名運動に積極的に参加していきたい。

鄭勇成 京都朝鮮中高級学校・高級部3年 後輩に残したくない

 「高校無償化」制度が始まると聞いたときは、朝から晩まで働いて育ててくれているオモニの負担が軽くなると思い、本当にうれしかった。でもその期待は裏切られた。「私たちの権利がまた踏みにじられた」という憤りでいっぱいだ。

 これまで街頭に立ち署名をお願いしたりビラを配ったりと、多くの人たちに訴えてきた。暴力的な言葉を投げてくる人たちもいたが、多くの日本人が応援してくれた。これから共に日本社会で生きていく高校生たちを中心に声をかけた。彼らに私たちのこと、朝鮮学校のことを知ってもらいたかったからだ。

 8月に発行された「朝鮮学校無償化除外反対アンソロジー」には作品を載せてもらい、私たちの声を多くの人たちに届けることができた。

 しかし、今でも朝鮮学校は「高校無償化」制度から除外されたままだ。「結局、何も変わらないじゃないか」という日本政府に対する不信感があるのは確かだけど、この問題をどうにかしなければならないと強く感じている。

 そのためにも、当事者である私たちがより多くの人たちに訴え続けることが大切だ。民族教育を受ける私たちがもっと声を上げることで、世論は喚起されるはず。日本政府には、私たちの存在を認めてほしいと願っている。

 私たち高3は、もうすぐ卒業する。後輩たちにこの問題を引き継ぎたくない。

園部守 日本朝鮮学術教育交流協会事務局長 教育は人権問題、政治とは別

 菅首相は、朝鮮西海での砲撃戦を理由に朝鮮学校への「高校無償化」適用の審査プロセスを停止させた。「外交上の配慮などで判断すべきものでない」とした政府の見解を自ら覆すもので、教育の場に政治問題を持ち込み子どもたちの権利を奪うという、外交の最も稚拙なやり方だ。

 日本政府が結論を何度も先送りし、メディアが朝鮮学校に関する誤った情報を流したことで、否定的な感情だけが増幅されてきた。とくに格差社会の中でメディアのあおりを受けた排外主義は、その矛先を朝鮮学校の「補助金」にまで向けた。

 そもそも教育は人権問題だ。「誰がどこで何を学ぶのか」は人権として保障されなければならない。歴史や政治についての認識が国々によって異なるのも当然だ。それを「反日的」という言葉でくくるのは危険な考え方だ。

 「補助金」支給を決めた松沢成文・神奈川県知事や、知事の判断を尊重するとした横田滋さんも指摘したように、政治問題を朝鮮学校に通う子どもたちに結びつけてはならない。朝鮮学校への「無償化」適用、「補助金」支給が速やかになされるべきだ。

 こうした問題はまさに日本社会の問題だ。日本人が今後どのような社会を築いていこうとしているのかが問われている。朝鮮学校や外国人との日頃のつながりの中で人権意識を作り上げていくことが大切だ。

長崎由美子 チョソンハッキョを楽しく支える生野の会代表 違いを尊重し合う社会を

 昨今、右傾化している日本では正論が正論として通じなくなっている。政府は「外交上の配慮は判断材料にしない」としながらも、朝鮮半島で砲撃事件が起きると、「高校無償化」適用のプロセスを停止した。大阪朝鮮高級学校ラグビー部が「全国大会」出場を決め、その機運が高まっていただけに、本当に悔しい。

 また大阪府は、朝鮮学校に対して「改善」を要求している。しかし、同校の卒業生には、弁護士やスポーツ選手として日本社会で活躍している人たちもいる。彼らは、はたして「反日」的な存在だろうか。朝鮮学校を除外することによって、「日本社会に受け入れられない」という感情を子どもたちに与えることになりかねない。

 私は保育士として数多くの子どもたちの成長を見守ってきたが、朝鮮学校は単に民族の言葉や情緒を教えるだけでなく、在日コリアンの子どもたちに「君は君のままでいいんだよ」という自尊感情を育てていると感じている。自分のルーツを誇れる教育を行うことはとても大切なことだ。

 朝鮮学校に通う子どもたちが心置きなく学べるかどうかは、日本社会をより開かれた豊かなものにしていくという日本人自身の問題だ。日本の子どもたちが外国人学校の子どもたちとの違いを互いに尊重し合えるようになってほしい。そのためにも、一日も早く無条件で、「無償化」を適用すべきだ。

[朝鮮新報 2011.1.7]