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東日本大震災 被災地で朝鮮学校教員に

朝鮮大学校・教育学部美術科卒 姜勇哲さん(23)

姜勇哲さんと両親

 東日本大震災が起こった11日は、朝鮮大学校卒業式の翌日だった。

 新たな希望を抱く卒業生たちの中には、被災地の就職先で新生活をスタートさせる若者もいる。

 姜勇哲さんは、今春から茨城朝鮮初中高級学校で教員として働く。

 兵庫県・宝塚市出身の姜さんは、1995年に起きた阪神淡路大震災の体験者でもある。

 東日本大震災が起きた時、16年前の記憶とともに恐怖が甦ったという。

 「あの時は初級部1年生。激しい揺れとともに窓ガラスや食器の割れる音が聞こえ、電気もつかなくなった。その恐ろしさを今でも覚えている」と話す。

 東日本震災翌日の12日、すぐに茨城初中高に連絡し被害状況を聞いた。そして、とにかく予定通り茨城に入ってくれという現地の声を聞いた。

 「教職は自らが希望した道。がんばろうと覚悟を決めたが、正直、不安と恐怖で決心が揺らいだ。覚悟が試されていると思った」

 そんな姜さんの背中を押したのは、両親だった。「ハッキョが大変なときだからこそ、お前が行って力になってやれ」。阪神淡路大震災当時、各地の同胞や活動家から多くの支えや励ましをもらったという両親だからこそ、息子に向かってそんな言葉をかけた。

 「震災の被害を受け、いま一番不安や恐怖を抱えているのはきっと生徒たち。余震や原発の問題が続いているが、教員になると決めた以上、復興に向け自分のできるかぎりのことをやりたい。子どもたちが正常な生活に戻れるよう、力を尽くしたい」(周)

[朝鮮新報 2011.3.23]