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東日本大震災 現地から届けられた声 ウリハッキョ中心の絆

 未曾有の被害をもたらした東日本大震災。自ら被災しながらも、同胞たちのために懸命に奔走する福島朝鮮初中級学校の鄭成哲教務主任(28)と朝青宮城県本部の金成吉委員長(28)が本紙に文を寄せた。

 あの日。

 大地震は、突如として、私たちの「日常」をひと飲みにした。

 かろうじて校舎から避難した私たちは、児童・生徒たちと輪になりながら、校舎前の広場で互いの無事を確かめ合い安堵した。

被災しながらも、決して暗い表情を見せまいと懸命にがんばった同校教員たち

 子どもたちを各家庭へ送り届けた教職員たちは、初級部1年生の教室で停電の中、一夜を過ごした。

 その後は周知のように、余震と原発事故、学校運営など尽きぬ問題の濁流に立ち向かった。

 そんな中で家庭訪問をする機会があり、ある家庭でこんな言葉をかけられた。

 「自分たちもすぐにでも避難したい。でもみんなが自由に連絡を取り合えない中で重要なのは連帯感であり、一体感だと思う。みんなと、同胞たちと、そして何より子どもが通うウリハッキョとつながっていたい」

 この言葉を聞き、心の底から揺さぶられる思いだった。「横のつながり」でもなく、ましてや「縦のつながり」でもない、在日同胞としての「輪のつながり」がいかに大切なのかを気づかされた。

 震災の中で生活するために仕事の整理に追われたが、励ましのメールや連絡のやり取りが学校と保護者、子どもたちの間で尽きることはなかった。それは、各家庭別に避難が始まってからも同じだった。

 学校では、県内で一番被害が大きかったいわき市の同胞たちの避難を受け入れ、共に生活し、みんなで懸命に確保した食糧を分け合った。

 総連福島県本部のみなさんは、自分たちが被災しながらも、たくさんの支援と惜しみない協力をしてくれるだけでなく、学校に住み込んで、避難者のために尽力してくれた。

若い教員たちは、困難に直面しても笑顔を絶やさなかった(後列左が筆者)

 東京の同胞たちは、深夜の寒空の中、被曝の危険を顧みずに救援物資を募り届けてくれた。あの時の感動は、忘れることができない。

 予定通り行えなかった卒業式を何としても無事に執り行うことを目標に、余震が続き原発被害の恐怖が迫り来る中でも昼夜を分かたず、一つひとつ写真をまとめ、通信簿を作成した若い教員たち。そこには、子どもたちの笑顔のために―という強い気持ちがあった。

 私はこの間ほど、「ウリハッキョ」という存在がどういうものなのかを、痛感したことはなかった。

 みなさんは、「ウリハッキョ」は何で成り立っていると思うだろうか?

 学生、教職員、保護者、また校舎や運動場…。挙げればキリがないが、その中でもっとも大切なもの。

 それは、「絆」だと思う。

 震災の爪跡は深く、さまざまな問題がいまだに残されている。犠牲者たちへの追悼の気持ちはいつまでも止むことはないだろう。

 しかし、ウリハッキョで育まれた「絆」は、この極限の状況でも紡ぎ続けられながら、道を越え、山を越え、果ては海を越えて、時とともに語り継がれ、そしてどこまでもつながっていくことだろう。

 それこそが未来を担う子どもたちを導き、在日同胞社会の道しるべになるのだと思う。

 この小さな学校の教員として、この時に、この地に立てたことを、私は誇りに思う。

 最後に、日本各地の同胞のみなさんへ。

 たくさんの応援やご支援、ご協力、本当にありがとうございました。(福島初中 教務主任 鄭成哲)

[朝鮮新報 2011.3.23]