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東京第2初級 新校舎竣工式 同胞、日本市民ら600余人が祝う

新校舎を前に宴会に興じる参加者たち

 東京朝鮮第2初級学校(東京・江東区)の新校舎竣工式が4月24日、同校で行われた。竣工式には、総連中央の許宗萬責任副議長、金淳赴ウ育局長と総連東京都本部の黄明委員長をはじめ生徒、保護者、卒業生、同胞、関係者、そして「枝川朝鮮学校支援都民基金」をはじめとする日本市民など約600人が参加した。1部の記念式典は校舎に新設された体育館で、2部の小宴は人工芝の敷かれた運動場で行われた。

 東京第2で新校舎建設が始まったのは、東京都が都有地の明け渡しなどを求めて同校を訴えた「枝川裁判」が終焉した翌年の08年。それから3年。新校舎建設は、地域同胞や保護者のみならず、日本各地の同胞、裁判闘争中から同校を支援してきた日本市民や南朝鮮同胞たちの悲願でもあった。この日、晴れわたる空のもとで行われた竣工式は、これまでと変わらず「ウリハッキョ」を守り、同校を拠点に地域社会を盛り上げていこうとする希望に胸をふくらませる人々の笑顔であふれていた。

 テープカットに続き、校舎内部に新設された体育館で記念式典が行われた。記念式典ではまず、東日本大震災で犠牲になった同胞へ黙とうが捧げられた。

 許宗萬責任副議長が祝賀あいさつを行った。

 責任副議長は、東京第2の新校舎建設のため尽力してきた地域同胞に祝辞を述べるとともに、これまで同校に多くの支援を行ってきた日本市民、南朝鮮同胞に謝意を表した。

 さらに、東京第2の新校舎建設は「中央江東地域の伝統ある民族教育にいっそうの発展をもたらす画期的な出来事だ」と指摘し、「在日朝鮮人運動の拠点であり、同胞たちの生活の場である地域同胞社会が団結してこそ、同胞社会の未来が開かれる」と話した。

 続いて、新校舎建設委の方世杰共同委員長による報告が行われた。

 報告の中で方委員長は、「人の住むところではない」と言われるほどの荒地だった枝川に、1世らが祖国解放後、自力で同校を創立、1964年に前校舎を建設するなど今日までウリハッキョを守り抜いてきた事実に触れ、「東京第2は昔から中央江東地域同胞たちの民族心の象徴であり、団結の拠点。そして何より、『心のふるさと』だった」と強調した。そして「今日、多くの2世、3世がその意思を受け継いでいる」と述べ、新校舎建設が実現されたいま、今後はより多くの新入生を受け入れるために尽力していきたいと話した。また、「新校舎の各施設を有効活用し、いつでも同胞や保護者、卒業生たちが集える『心のふるさと』のような学校づくりを目指したい」と語った。

 2部の小宴では、新校舎建設委の李元吉共同委員長の報告、訪れた同胞、日本、南朝鮮の来ひんによるあいさつが行われた。また、同校生徒と東京朝鮮歌舞団による文化公演が竣工式に花を添えた。

 1500余坪の校地には、西側に教室と体育館が一体となっている近代的な校舎が建てられた。また校舎内部には、エレベーターや冷暖房器具などの最新設備が完備されているほか、運動場には人工芝が敷かれた。

 李未聖さん(6年)は、竣工式に予想以上に多くの人々が集まったと驚きながら、「新校舎建設は簡単なことではないのに、オモニ、アボジ、同胞や日本の人々が力を合わせ、こんなに立派できれいな校舎を建ててくれた。本当にありがたいし、うれしい。これから、もっと勉強や部活をがんばって、東京第2の名を輝かせていきたい」と語った。

 今年4月、息子が新1年生になった崔慶餤さん(32)は、「私も同校卒業生。自分の通っていた前校舎はもうなくなってしまったから、少しさびしい気持ちはある。けれど、新校舎は設備も整っているし、耐久性にも心配がない。親としては、いっそう安心して子どもを送ることができる。新校舎で、ウリハッキョの子どもらしく、のびのびとした学校生活を送ってほしい」と話した。

 竣工式に先立ち行われた除幕式では、新校舎の校門横の壁に創られた記念モニュメント「原製税 壱狽(心のふるさと)」が披露された。記念モニュメントには、同校を支援してきた同胞と日本市民らの名前が刻まれている。(文・周未來、写真・文光善)

[朝鮮新報 2011.4.28]