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〈論調〉 「対話準備」は言葉遊び

 去る1日、南朝鮮の執権者が「記念の辞」なるもので、「同じ民族」だの何だのうんぬんし、「いつでも開かれた心で対話を行う準備ができている」と力説した。

 銃声や砲声が響く中で対話について論議するというのは話にもならない。南朝鮮当局が真に北南対話に関心があるなら、それ相応の雰囲気をつくらなければならない。

 しかし、南朝鮮当局の行動はそれとは正反対である。現在、南朝鮮の空と陸、海では米軍と南朝鮮軍の膨大な武力が動員された中、キー・リゾルブ、フォール・イーグル合同軍事演習が大々的に行われている。南朝鮮と米国の好戦勢力が「定例訓練」「防御訓練」と呼んでいるこの北侵戦争演習によって、われわれの自主権と尊厳は脅かされ、朝鮮半島では核戦争の危険が日を追って高まっている。

 南朝鮮当局者が、外部勢力と結託して同族に反対する侵略戦争演習を大々的に行いながら、「同じ民族」や「対話」と騒いだのは、対話に関心があるからではない。それは、北南対話を破たんさせた責任を他人に転嫁し、内外世論をミスリードしようとする術策にすぎない。

 朝鮮半島と北南間の現難局を解消する唯一の活路は対話と協議である。このため、朝鮮は南朝鮮当局を含む政党、社会団体との幅広い対話と協議を行うことを提案し、あらゆる誠意を傾けた。

 しかし、南朝鮮当局は北南対話のための朝鮮の誠意と雅量のある提案に、軍事的挑発騒動を行うことで応えた。その上、南朝鮮の好戦勢力は内外世論の圧力に押されて仕方なく会談の場に引きずり出されてからも、不当な前提条件を持ち出してようやく開かれた北南対話を決裂させた。

 南朝鮮当局が北南対話を願うなら当然、今回の「記念の辞」なるもので北南対話を決裂させた責任に対して誠実に反省すべきであった。

 今回、南朝鮮の執権者が「対話」を口にしながらも、「核とミサイルの放棄」と「挑発に対する責任ある行動」が前提であると公言したのは、その明白な証拠である。

 南朝鮮当局が北南対話と北南関係の改善に関心があるなら、北侵戦争演習を中止して同族対決政策を撤回し、北南対話提案に無条件応じるべきである。(6日付、民主朝鮮)

[朝鮮新報 2011.3.11]