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共同社説に見る’98共和国の展望(下)統一

3大憲章に基づき実現を


一貫した北の政策

 共同社説では「今後、情勢がどう変わり環境がどのように変化しても、金正日同志が示したとおり、祖国統一3大憲章を掲げていかなければならない」と指摘した。祖国統一3大憲章とは、金日成主席が示した祖国統一3大原則(自主、平和統一、民族大団結)と全民族大団結10大綱領、高麗民主連邦共和国創立方案である。この祖国統一の原則と方途は、総書記が96年11月、分裂と対決の象徴である板門店を視察した際に定めた。

 総書記は、主席逝去3周年で喪が明けた後の昨年8月4日、労作「偉大な領袖金日成同志の祖国統一遺訓を徹底的に貫徹しよう」を発表し、祖国統一の3大憲章に基づき統一を実現することについて強調した。

 それは、外勢に依存せず、民族をキーワードにして、1つの民族、1つの国家、2つの制度、2つの政府に基づく連邦制方式の民族統一国家を創立するというものだ。

 祖国統一のためのたたかいで情勢の変化によって具体的方法は変わることはあっても、統一の根本原則と立場では変化はない。共同社説で3大憲章が強調されたことは、共和国の統一に関する原則的立場は一貫しており、少しの変化もないことを示したと言える。

 

南は連北和解政策を

 今年は「朝鮮民族が自主的平和統一の決定的局面を切り開く歴史的な年」(共同社説)である。

 共和国では昨年10月に金正日朝鮮労働党総書記を推戴した。南朝鮮では2月に金大中「政権」が発足する。

 共同社説は、南朝鮮で「政権」交代があったからと言って、何も変わらないと指摘しながら、南当局に @対北対決政策の連北和解政策への転換 Aコンクリート障壁の解体 B「国家保安法」の撤廃 C安企部の解体、で統一に対する意志を示すべきだと主張した。

 これは南北関係改善の条件、とくに91年12月に採択された「南北間の和解と不可侵および協力・交流に関する合意書」履行のための条件であり、共和国は「このような角度から南当局者らの今後の態度を注視」(共同社説)している。

 @は、南の現「政権」は「南北閉鎖政策」など対北対決政策を取っているが、南北合意書で明記されているように「和解」を実現するためには、まず南が共和国に対する政策を連北和解政策へと転換することが必要ということを示している。

 Aのコンクリート障壁は南当局が77年から79年の間に、朝鮮半島の軍事境界線南側に東西240キロメートルにわたって造ったもので、これによって南北を結ぶ鉄道と道路、村などが分断された。南北の分裂と対決を象徴するものだ。この障壁を解体せずして、南北の自由往来や鉄道の連結など南北合意書でうたわれた「協力・交流」も出来ない。

 Bの保安法は、共和国を「反国家団体」と規定し、「敵」と見なし自由な対話と交流を阻んでおり、南北合意書の「和解」の分野で明記されている互いの思想と制度を認めるという精神にも反する。同時に Cの安企部は、これまでも「スパイ事件」をでっち上げ、南北統一を妨げる反北情報操作を行い、統一運動を弾圧、妨害してきた。

 金大中は、選挙公約と当選後の会見で、南北合意書に基づく対話の再開を主張したが、保安法については現時点では撤廃できず、安企部については「国家安全のために必要な情報(北の情報)を収集する機関」との認識を示し暗にその存続の必要性を示唆している。

 一方、94年7月25〜27日には南北最高位級会談の開催が決定したが、主席は7月7日、祖国統一と関連した重大文献に最後のサインを残し、翌8日に惜しくも逝去した。これに対し金泳三は弔意すら示さなかった。

 今後、南北最高位級会談が開催されるか否かは、南当局がこんにちの反民族的で反統一的な対決政策を放棄して実際の行動で肯定的な変化を見せるかにかかっていると言えよう。(基)