民族の和解と団結へ/鄭名誉会長の再訪北(上)
金正日国防委員長の会見/同胞愛あふれる中で45分
10月31日、五日間の訪北日程を終え南朝鮮・現代グループの鄭周永名誉会長一行が板門店を経由して南側に帰還した。板門店経由の鄭名誉会長の訪北は、6月に続くもの。共和国国防委員会の金正日委員長は30日、鄭名誉会長と会見し、民間レベルの南北経済交流などについて話し合った。共和国最高人民会議第10期第1回会議で金正日総書記が「国家の最高職責」である国防委員会委員長に推戴された後、初めて会見した相手が南朝鮮の財界トップの鄭周永名誉会長であったことは注目に値する。現代側は訪北中、金剛山観光事業のほか9項目の南北経済開発協力事業を推進することなどで北側と合意した。今回、「破格の待遇」(読売新聞1日付)を受けた鄭名誉会長一行の訪北について見た。(基)
宿舎を訪れ
金正日委員長と鄭周永名誉会長の会見は、百花園招待所で行われた。同招待所は、過去、平壌で開かれた南北高位級会談の時(第2回会談=90年10月、第4回会談=91年10月、第6回会談=92年2月)、南側代表団の宿舎として使用された。また94年6月に訪朝したカーター元米大統領も使用したことでもよく知られた場所だ。
10月30日午後9時55分、1日の日程を終え宿舎の百花園招待所でくつろいでいた鄭名誉会長一行に、金正日委員長が訪ねてくるとの知らせが入った。
会見の準備をし、会見場所である招待所入り口横の会議室前に鄭名誉会長らが向かうと、そこには金正日委員長が待っていた。
金正日委員長はまず、「来るのにご苦労様でした。地方からの帰り道ですが、ご高齢で動くのも大変でしょうから、私が直接来ました」(ソウル新聞2日付)と述べ、鄭名誉会長一行らと握手を交わしたという。
金正日委員長が鄭名誉会長を「名誉会長先生」と呼ぶと、鄭名誉会長は金正日委員長を「将軍」と呼んだ。そして一行は場所を会議室に移した。会見は同胞愛あふれる温かい雰囲気の中で進められた。朝鮮アジア太平洋平和委員会の金容淳委員長、鄭名誉会長の妹の鄭煕永さん、5男の鄭夢憲現代会長、「韓国プレンジー工業」の金永柱会長らが同席した。
金正日委員長は「5大(財閥)創業者の中で唯一、ご健在でおられる名誉会長先生とお会いできて光栄です。名誉会長先生が黄牛のような方ということを承知しています。やる事々がすべてうまくいったではないですか。民族がうまくいくよう、やっていきましょう」(同)ととても大きな声で語り、現代側との民間レベルの経済交流に深い関心を示した。
金正日委員長が、南朝鮮トップ企業家に対して意を表し、年長者に対する礼儀を示した一場面である。
石油、スポーツにも
また会見では、金正日委員長が「金剛山観光事業は現代がすべて請け負い積極的に進めてくれれば有り難いです」と語ると、鄭名誉会長は「金剛山にホテルを建てます。また(江原道高城郡)温井里には温泉を開発します」(同)と答えた。
さらに金正日委員長が、米国などの外国企業が共和国の石油埋蔵量を調査した膨大な資料を示しながら、「平壌は油の上に乗っている」と言うと、鄭名誉会長は「石油が多く埋もれているというが、南韓までパイプラインを供給できるようにして下さい」(京郷新聞2日付)と要請した。すると、金正日委員長は、「ほかのところとする必要がありますか、現代とすればよいでしょう。そのようにするよう指示します」(同)と語った。
同席した鄭会長は、「将軍、観光事業だけでなく西海岸の工団(工業団地)事業もやるつもりです。経済特区がよいようですが」と依頼しながら、「南北経済交流の助けになり南北全体の利益につながる」(ソウル新聞2日付)として8大経済協力事業について説明した。金正日委員長はこれに対して「うまくいくようにしなさい」(同)と金容淳委員長に指示した。
ほかにも金正日委員長は体育館建設に関心を示しながら、「南北間のスポーツ交流を頻繁に行わなければならない」(東亜日報3日付)と言及した。
中央に促して撮影
45分ほどの会見を終えた一行は、招待所の入り口に掛かっている絵の前で記念写真を撮った。その時、金正日委員長は「年上の方が真ん中に立たなければなりません」(ソウル新聞2日付)と、鄭名誉会長を中央へと促して1枚撮り、次に金正日委員長を中央にしてもう1枚撮った。
鄭名誉会長は10月31日、帰還後の会見で「私よりも若く、礼儀をわきまえていて、いい感じだった。とても健康そうに見えた」(朝日新聞1日付)と金正日委員長の印象について語った。また鄭会長は、金正日委員長が宿舎に訪ねてきたことについて、「長幼の序を重んじる一面をうかがわせた」(読売新聞1日付)と話している。