「アジア大会でも優勝狙う」/北京国際マラソン大会1位の金中元選手(25)
「先頭で競技場に入った瞬間、涙が頬をつたった」――10月10日、中国で開かれた1998年北京国際マラソン大会男子の部で、世界のトップランナーたちを退け堂々優勝した共和国の金中元選手。
今回の大会には、中国、日本、ケニア、ロシア、ノルウェー、ポルトガルなどの国と地域から2万人が参加した。天安門広場からスタートし、北京郊外を回って市内の競技場に入るコース。
昨年の大会では4位だった金選手だが、「今回の大会では必ず優勝する」との固い決意で臨み、スタート早々から先頭集団をつかまえた。
28キロ時点で、先頭集団は7人。エチオピアのメコネン選手ら世界の強豪が入っていた。
この日は湿度80%を超える悪条件だったことから、時間が過ぎれば過ぎるほど選手たちの顔からは徐々に疲労が表れてきた。30キロ地点の給水所を契機に、南朝鮮の選手がさっと先頭集団からさらに前へと上がっていった。
「坂道に突入したので、とても苦しかったが、頭の中は唯一、勝利の2文字しか浮かばなかった」という金選手は、南朝鮮選手に追いつき、先頭争いを繰り広げた。ゴールまであと1キロ。金選手は最後の力をふりしぼり、2位と150メートルの差をつけ競技場に入った。
表彰台の最も高い場所に上がった彼は、両手を大きく振って歓呼に応えた。
江原道安辺郡生まれの金選手。95年の共和国マラソン選手権大会で優勝したものの、その後の国内競技では成績がふるわず、不振が続いていた。それだけに今回の国際大会での優勝が、今後の選手生活において大きな励みとなるのは間違いない。
「12月のアジア大会でも優勝し、2年後のシドニーオリンピックでも共和国の名を轟かせたい」と力強く語っていた。(高)