長野五輪それぞれ/地元紙で共和国担当のアルバイト記者を経験 林英淑さん
五輪開催期間、地元紙のアルバイト記者として走り回った。友人の同紙記者に勧められ、「自分に刺激を与えたい」と思い引き受けた仕事。「でも実は、世界の有名選手に会えるかもしれないという期待もあった」と笑う。
長野県松本市に住む。朝鮮大学校師範教育学部音楽科卒業後、89年4月から母校の長野朝鮮初中級学校で教鞭を取ったが、2年前に退職。現在はピアノ教室で講師をしている。
民族教育の第1線を退いてから「祖国や民族に対する関心が薄れていたのも事実」。だが、アルバイト記者として共和国選手団を担当しながら、「選手の姿を通じて共和国の素晴らしさをたくさんの人に伝えたい」という思いを強くした。
同時に、地元はもちろん、全国各地から応援に駆け付けた同胞たちがお揃いの帽子を被り、共和国旗を翻しながら老若男女が一つになって熱い声援を送る姿に、「祖国と同胞のつながり」を感じた。
日本人記者の取材に同伴して通訳に徹する時もあれば、自ら取材し記事を書くこともある。アルバイトとは言え、24時間、仕事に追われる記者生活はそんなに楽なものではなかった。
「疲れたが、貴重な体験だった。忘れかけていた民族への思いを取り戻すいいきっかけになったと思う」と、満足げな笑顔を見せた。(道)