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特集//長野冬季五輪閉幕


 共和国選手団は「長野」でメダルを獲得することはできなかった。「同胞の期待に応えられない、力のなさが悔しい」。試合後、選手らはそう口を揃え肩を落とした。しかし8人のうち5人が10代の新人選手というチームにとって、「世界のレベルを痛感した長野での経験」は明日への飛躍に向けた大きな「収穫」でもあった。(道)

 

長野での経験明日の糧に/可能性見せた10代に期待

 「今の実力が、世界のレベルから見てどの程度通じるものであるかを検討するうえで、五輪は絶好の機会だ」

 試合前、ムン・ジェドク団長はこう話していた。

  「もちろん上位は目指す」が、国際大会の経験が少ない新人選手が多いというチーム事情を考慮しての発言だった。

 共和国が冬季五輪に初参加した1964年のインスブルック大会以来、獲得したメダルは2つ。過去の戦績を見ても、共和国の冬季競技の水準は世界的に高いわけではない。

 また世界では、ブレード(刃)がかかと部分で離れ、バネ仕掛けで戻る仕組みの「スラップスケート」や、滑走の時に受ける空気の流れを良くする、頭やスネに張り付けるギザギザ状のテープ「スパイラル」など科学的な用具の開発が進み、その導入とスケート技術の発展によりどんどん高速化している。それは、今大会で20の五輪記録、7つの世界記録が生まれたことにも如実に表れている。

 共和国選手も、ショートトラック女子3000メートルリレーで五輪記録を1秒以上短縮。個人ではハン・リョニ選手(18)が同1000メートルの予選で五輪記録を破り、準々決勝ではそれをさらに上回る好記録をマーク(タイムランキング5位)したが、勝てなかった。それ以上の五輪記録や世界記録が続々と生まれたからだ。

 カン・ヒョンスコーチは「新人選手が多いだけにレースの駆け引きなどで経験不足が表れた。コーチ陣としては世界の発展状況を把握できていなかったことを痛感した。今後は常に世界の状況を把握し、科学的な練習法を研究してどんどん導入しなければ世界には追いつけない」と振り返った。

 選手最年長のキム・イルシン選手(26)は「共和国の選手は世界トップクラスの選手らに比べて、体力面では負けていないが、レースの流れを読む適応力や予測能力で劣っている。一定のレース展開しかできず、周りのペースに乱されてしまう」と客観的に分析。実際、試合でリードを保ちながらもミスで転倒するなど、ムラのあるレース展開が目立った。

 しかし悲観することはない。「10代の新人選手が、初の大舞台で自己新や五輪記録をマークした活躍は、もっと練習に励めば共和国のスケートが世界に十分通じることを示してくれた」と、前々回のアルベールビル五輪銅メダリストのファン・オクシル選手(25)は語る。0・007秒差で予選敗退した悔しさを乗り越え、今後を担う後輩たちが見せた可能性に期待している。

 それでも新人選手らは「勝たなくては意味がない」(ハン選手)と、厳しい表情をくずさなかった。レース後、選手らはビデオで自分の滑りを何度も見直したという。反省とともに、「次」に向けて自分自身を奮い立たせていたのだろう。

 チョン・オクミョン選手(18)は「長野での経験と悔しさを絶対に忘れない。国際大会に出るチャンスはまだまだあるので、もっと練習を積んで今度こそメダルを手にしたい」と、屈辱を胸に飛躍を誓った。

 

「一生懸命な姿に感動」/連日駆け付けた同胞ら

 「D・P・R・KOREA」の文字が書かれたブルーのキャップとカスタネット、翻る手旗と「イギョラ!」の横断幕―。共和国選手が出場したスピードスケートとショートトラックの会場となったエムウェーブとホワイトリングで、一際目を引いた同胞たちの「応援グッズ」だ。共和国選手の競技が行われる度、会場は地元をはじめ多くの同胞らであふれた。

 スピードスケート女子1000メートルが行われた19日、群馬から観光バスに乗って、37人の総聯群馬・西毛支部応援団が駆け付けた。

 「共和国の選手が日本に、ましてやすぐ隣の県に来ているのに応援にくるのは当たり前」と「団長」の金周坤支部委員長。選手団に贈る20着のジャンパーも用意し、ムン・ジェドク団長に手渡した。

 ショートトラック女子1000メートルが行われた21日には、1校1国運動で共和国を応援した保科小学校の教員も駆け付けた。

 入村式や交流会で同校の児童・教員らと触れ合った選手団は、「ぜひ競技場で応援を」とチケット10枚をプレゼント。当日は競技が夜に行われたため、残念ながら児童らは来れなかったが、「生徒の分まで」と、教員らは応援に熱を込めた。

 澤田定弘教頭は「結果は残念だったが、選手たちのおかげで長野初中の生徒や在日の方と交流を深めることができた。五輪が終わっても交流を続けていきたい」と話していた。

 競技場には遠路はるばる山口、九州から駆け付けた同胞もいた。南朝鮮から来た同胞が「グッズ」を手に取り応援する心和む姿も見られた。

 「グッズ」を揃えての応援は選手にも好評で、ユン・チョル選手は「すごく目立つし、どこに同胞がいるのか一目でわかる。こんなに来てくれたのかと思い、感激した」と話していた。

 各地から集まった同胞が、揃いの帽子をかぶり共和国旗を振りかざしながら応援する姿に、祖国とのつながりを感じたと言うのは徐京姫さん(群馬・西毛支部管下居住、24)。競技を見て「結果云々でなく、一生懸命な選手の姿に感動したし、何より自分たちが住んでいる日本で祖国の選手と会えて嬉しい」と感想を語った。

 

1、000通も激励の手紙、FAX

 五輪期間、選手村で生活する共和国選手のもとには、朝鮮学校の生徒や各地の同胞から約千通に上る激励の手紙やファクスなどが届いた。

 「体に気を付けて頑張って」「競技場には行けないけど応援しています」などと書かれ、横断幕やタオル、手袋、選手の似顔絵、お守りなど、手作りのものや趣向を凝らしたものも多かった。

 3日付の本紙が電話、ファクス番号を掲載してからは毎日数十通が寄せられるようになり、多い日には1日に百通以上が送られてきたこともある。受付の日本人ボランティアも「こんなにたくさん送ってくるのは朝鮮の選手だけですよ」と驚いた様子だ。

 受け取った選手らは、ベッドにお守りを飾ったり、何度も手紙を読み返したりして喜んでいた。

 「手紙を一つ一つ読みました。同胞や生徒たちの心遣いに感激し、とても力づけられた」とハン・サングク選手。キム・オクフィ選手も「自分たちへの期待がこんなに大きいと知って、プレッシャーを感じたりもしたが、それ以上に励まされた」と嬉しそうに語っていた。