視点
徐勝氏が4月1日付で立命館大学教授に就任するという。徐氏の名前は「徐勝・俊植兄弟事件」として知られている。
2人は1971年4月18日、南朝鮮留学中、「北のスパイ」として逮捕された。金大中候補と朴正煕による「大統領」選挙日の10日前だ。勝氏は「国家保安法」を適用され1審で死刑、2審で無期刑、その後、懲役20年に減刑される。
90年2月に釈放されるまで非転向を貫き19年間の獄中生活を強いられた。その体験は「獄中19年 韓国政治犯のたたかい」(岩波新書)として94年に出版された。
弟の俊植氏も17年間の投獄の末、88年に釈放された。今はソウルの市民団体「人権運動サランバン」代表だ。昨年11月、48年の済州島4・3事件を描いた映画の上映問題で保安法違反容疑で逮捕されたが2月5日、保釈された。
徐兄弟に限らず何の罪もない多くの在日同胞がある日突然、安企部(当時の中央情報部)などに連行され、拷問で「自白」を強要され「北のスパイ」にでっち上げられ、投獄されてきた。保安法と安企部は恐怖の対象である。
共和国は南朝鮮での「政権」交代に際して、自由な対話と交流を阻み、南北の和解と統一を妨げてきた安企部の解体と保安法の撤廃を求めている。2月25日、自身も安企部と保安法の犠牲者だった金大中新「大統領」は内外の関心の中で就任演説をしたが、保安法と安企部については触れなかった。(喜)