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「参政権」は必要か(上)/背景に不純な動機


 「定住外国人の参政権」論議が盛んだが、在日同胞社会を未来的思考で語るためにも、現在浮上している「参政権」運動がはらむ現実的で複雑な問題点をきちんと把握することが大切だ。「参政権」運動が持ち出された動機、今後の在日同胞社会の在り方などを3回にわたって連載する。

 

推進者らの本音

 「参政権」運動は、そもそも1977年からの民団の「差別撤廃・権益擁護運動」がきっかけとなっている。この時に「参政権」要求が打ち出されたのだ。

 その狙いは、それを推進している側の本音を見れば分かる。

 まず、「差別撤廃・権益擁護運動」の指針と言える「差別白書」の編集責任者は「日本語を使い、日本の風習に従う社会同化は義務」などと言っている。

 しかも、90年9月に「参政権」訴訟を起こした人物は「(在日同胞は)すでに日本人に同化されていると言っても過言ではなく、またこれからも未来永劫日本に生き続けなければならない」と語る。

 つまり、日本人と変わらないから「参政権」を要求するということであって、民族性を守る立場からの権利主張ではない。

 民団中央が95年末に各地方に送った「地方参政権獲得運動の手引き」には、「もし選挙権が認められた場合のことを想定して、選挙人名簿に本名を登録すると差別、迫害される。これを避けるために外国人登録の際に通名を登録する制度をつくり、それと連動して選挙人登録も通名で行うことも考えるべき」とまで主張している。まさにこの「現代版創氏改名のすすめ」に、彼らの「参政権」要求の真の意図がはっきり見える。

 

民族性否定に迎合

 「これではかつて植民地時代に参政権を得て衆議院議員になった朴春琴が『内鮮同化は当然の帰趨』と言ったのと同じではないか」

 1世の同胞らがこう批判するのも当然のことだ。

 憲法学者の星野安三郎氏は、1919年の3・1独立運動の翌20年2月、同化政策を支持していた閔元植が「参政権のみが、朝鮮人に日本国民としての自覚を持たせる唯一の方法」という請願書を帝国議会に提出した事実に注目、当時の「朝鮮人議員」は「植民地支配を維持強化するため」のものであった。

 敗戦後も、日本政府は一貫して同化政策を追求してきたが、それは70年代後半以降、一層巧妙になっている。坂中英徳・法務省事務官(当時)による76年の「坂中論文」は、「進んで日本国籍を選択したいという気持ちが在日朝鮮人の間に自然と盛り上がってくるような社会環境づくりに努めること」を提言した。

 彼は最近の著書でも、「今後は、日本政府がいかに簡易な手続きにより日本国籍を付与するかが最大の課題となろう」と、同化の積極的な推進を提唱している。

 

「吸収統合」ねらい

 民団の「参政権」運動が日本政府の同化政策の流れと合致していることを、偶然と見る向きは少ない。

 とりわけ、95年9月と10月に民団中央の幹部がソウルに行って、「総聯を吸収」する手段として「参政権獲得運動」を強く推進するよう指示を受けたのを機にその動きは顕著になった。

 かつて70年代に「(権益擁護運動が)成功すると完全に朝鮮総聯の組織が崩れる」(東洋経済日報77年7月22日付)とした民団の狙いをより具体化したのが、こんにちの「参政権要求運動」と見ていいだろう。

 民団が、「参政権」を総聯つぶしの効果的な道具として活用しようとしている事実は、辛容祥団長が「…朝総連勢力を圧倒して近い将来に彼らを吸収統合することがわれわれに与えられた使命」である、と述べたことからも明らかだ。(J)