ここが知りたいQ&A/保安法撤廃・安企部解体はなぜ必要か
和解と団結阻む最大の障害/「北のスパイ」でっち上げで統一・民主人士らを弾圧
Q 2月18日の共和国の各政党・団体連合会議で「国家保安法」撤廃と「国家安全企画部」解体を訴えたが。
A 連合会議では南朝鮮当局に反北対決政策から連北和解政策への転換を強く求めた。これは金正日総書記の97年8月4日労作、今年1月1日の共同社説などで繰り返している共和国の一貫した主張だ。とくに保安法と安企部は南北関係進展と統一の最大の制度的障害である。
Q 保安法とはそんなに悪法なのか。
A そうだ。李承晩が48年12月、日本帝国主義の治安維持法をまねて作ったもので、朴正煕が作った反共法を吸収し、歴代独裁政権を支える反統一悪法として訪北人士や民主化・統一運動の弾圧に利用されてきた。さらに共和国や総聯を「反国家団体」、つまり敵と見なし、共和国を支持する行為は「利敵行為」、それを行う団体は「利敵団体」となる。全25条で、最高刑は死刑だ。
Q これまで保安法はどのように悪用されてきたのか。
A 統一や民主化を求める多くの人たちを弾圧した。民族団結を願う純粋な思いから訪北し、金日成主席と会見した文益煥牧師を89年6月、平壌での第13回世界青年学生祭典に参加した林秀卿さんらを同年8月、主席の1周忌に際し弔問のため訪北した文牧師夫人の朴容吉女史を95年7月にそれぞれ逮捕、投獄した。金泳三「文民政権」下での良心囚は約4200人と軍事政権時の4倍に急増。今月13日には新「政権」下で特赦が実施されたが、全良心囚の15%のみの釈放に、市民団体からは「失望した」と、全員釈放を求める声が高まっている。
Q その保安法を武器に対北謀略を実行するのが安企部なのか。
A そうだ。日本の公安と連携して反共和国、反総聯謀略を行う「大統領」直属の謀略情報機関で、朴正煕が61年6月に作った中央情報部(KCIA、81年1月に安企部に改名)が前身だ。「大統領」選挙や「政権」の危機のたびに「事件」をでっち上げて「北の犯行」を叫び、独裁政権延命や共和国のイメージ失墜を図ってきた。73年8月の「金大中拉致事件」や87年11月の「大韓航空機事件」などが代表例だ。
Q 在日同胞も犠牲になっているのか。
A 京都出身の徐勝・俊植兄弟が71年4月、南朝鮮留学中に「北のスパイ」にでっち上げられ逮捕され、勝氏は19年、俊植氏は17年も投獄された事件をはじめ、多くの同胞が逮捕、投獄された。同胞も安企部の恐怖と隣り合わせと言える。日本で変節者を使って幽霊団体を作り、共和国と総聯、民族教育を中傷する怪文書をばらまくなど、反総聯瓦解策動も稚拙で卑劣な手法でしている。
Q 南朝鮮新「政権」の対応は。
A 保安法撤廃は「時期尚早」だと否定、安企部についても「大統領」選挙の際の謀略工作発覚を機に「改革」は叫ばれているが、解体は否定している。しかし、南北関係改善と統一のためにも保安法と安企部はなくならなければならない。南朝鮮当局には実際の行動で統一の意志を示すことが求められている。