第9回全国高校ボクシング選抜で金メダルの白永鉄(大阪朝高)
21〜24日、岩手・水沢市で開かれた第9回全国高等学校ボクシング選抜大会で、大阪朝高の白永鉄選手(4月から3年、フェザー級)が朝高生として全国大会初となる金メダルを手にした。朝高に全国大会参加の道が開かれて5年。インターハイ4回、選抜大会3回に出場し、銀2、銅7のメダルを獲得した各朝高ボクシング部。今回、初の金メダルを加え、通算10個のメダルを獲得するという金字塔を打ち立てた。(高)
リング上の兄に憧れ
4年前、東京、大阪、神戸の各朝高が朝高として初めてインターハイに参加した時、白永鉄選手の兄、白龍一選手も大阪朝高の代表としてリングに上がった。その後、大阪朝高に入学した白永鉄選手がボクシングを始めたのは、兄の姿を見て「自分も全国大会の舞台に立ちたい」と思ったのがきっかけだった。
昨年夏、初めて出場したインターハイでは2回戦で惜敗。以来、その時の雪辱を果たそうと猛練習を重ね、昨年秋の大阪府大会、近畿地方ブロック大会で連続優勝を果たし、今回の全国選抜大会出場の切符を手にした。
全国選抜大会は、昨年度の都道府県大会優勝と各地方ブロック大会優勝の実力者が集まる大会だ。
「全国制覇は同胞たちの長年の夢であり、僕たちの目標。自分がそれを実現するという思いで練習に励んできた。普段の練習成果を出せたら必ず勝てる」
リングに上がった白選手の表情は、自信に満ち溢れていた。
5−0の圧倒的判定
白選手は今大会で、1回戦から準決勝までの3試合をRSC(レフェリー・ストップ・コンテスト)勝ちし、決勝も5―0の判定で圧勝した。
21日の1回戦は、この日行われた21試合中唯一のRSC勝ちだった。白選手は第1ラウンド開始直後から連打を浴びせ、3ラウンド2分42秒で相手選手をマットに沈めた。さらに22日の2回戦、23日の準決勝も、強豪選手を1ラウンドで倒した。
24日の決勝戦でも、試合開始のゴングが鳴った瞬間から果敢に攻め込んでいった。圧倒的な試合運びだったが、勝敗は判定に持ち込まれた。観衆が息を飲む中、レフェリーが白選手の拳を高くあげた。5人の審判全員が白選手を勝利とした5―0のパーフェクトの判定。朝高が全国の頂点に立った瞬間だった。
今大会競技運営委員長で日本アマチュアボクシング連盟の川島五郎専務理事は「朝高が全国大会参加5年目で頂点に立ったのは驚きであり、快挙だ。国際化への流れの中で、朝高選手が今後も多くの大会に出て活躍することを期待する」と話す。
民族教育の力示す
会場では、総聯岩手県本部の金永徹委員長ら同胞たちが熱い声援を送った。
「日本のどこへ行っても同胞たちの愛情に触れることができる」と語る白選手の父、白亨奎さん(50)は、「先輩たちの努力のおかげで全国大会出場が実現し、今日の喜びがある。息子の金メダルは総聯組織、民族教育に与えられたものだ。永鉄の民族心を育み、朝鮮青年としてリングに上がれるよう立派に育ててくれた組織と学校が本当にありがたい」と話していた。
「今日の結果に満足することなく練習を続け、インターハイでも優勝して高校2冠を達成したい」と語る白選手の胸には、金メダルが光っていた。
16年間、大阪朝高ボクシング部を指導/梁学哲教員
決勝戦前夜、なかなか寝つけなかったという梁学哲教員(39)。82年に朝鮮大学校文学部を卒業し、大阪朝高に赴任してから16年間、ボクシング部の指導に全ての情熱を傾けてきた。
「私はボクシングという科目を教える『教員』。教員が『授業』の準備を徹底的に行うのは当然。百を知ってこそ一つをしっかりと教えることができる」
休日の度に強豪校を訪問して訓練方法を研究し、日本の全国大会には遠くても必ず駆けつけ、ボクシング理論の習得に全力を傾けた。その情熱が、学生たちとの深い信頼関係を生んだ。
赴任5年目の87年。大阪朝高の大阪府民体育大会参加の道が開かれた。初めての公式大会で選手たちは梁教員の期待に応え、3階級制覇の活躍をした。
90年には、東京朝高の李成樹教員とともに祖国で共和国のボクシングを直接習うチャンスが訪れる。「祖国のボクシングは質、量、密度、すべてにおいて想像を絶するもので感激だった。それからは、祖国のトレーニング法を全面的に取り入れている」。今では多くの日本の指導教員たちが大阪朝高を訪れ、トレーニング法を学んでいくという。
「最も大切なのは、学生たちに朝鮮人としての意識を身につけさせること。人間の真価が問われるのは、グローブを脱いだ時だ。ボクシングを通じて学生たちに、どんな難関でも必ず乗り越えることのできる忍耐力を育ててあげたい」
日頃から学生たちに「左の拳には民族の魂、右の拳には朝鮮人としての誇りを込めてリングに立て」と言っている。