特集//20回迎えたちびっこサッカー
朝鮮学校初級部のサッカー少年の晴れ舞台、ちびっこサッカー大会が今年で20回目を迎えた。これまで数々のドラマを生み、多くの名選手のタマゴを輩出してきた同大会は、選手だけでなく子供らの活躍を支える父母や同胞らにとっても一大イベントになっている。今回は、初日に大雨に見舞われグラウンドコンディションは最悪だったが、選手らは泥まみれになりながらも元気良く気迫のこもったプレーを披露。20回目の記念大会に相応しい好ゲームが展開された。(道)
元気いっぱい、練習の成果競う
大会では、初日に14組に分かれて予選リーグが行われ、2日目には先日の成績別に1部から3部に分かれてリーグ戦が行われた。
1部リーグに進出したのは西東京第1、泉州、東京第2、横浜、東京第1、群馬、大阪第4、東京第5、尼崎、愛知第3、京都第1、生野、東京第5、千葉の14チーム。
3日目のトーナメントでは、初日から前回覇者の貫禄で順当に勝ち上がった西東京第1と、リーグ戦で生野、千葉を辛くも振り切り、愛知第3との準決勝でもPK戦の末に勝利をもぎ取った東京第5が、決勝に進んだ。
初の決勝進出となった東京第5は、いったん相手陣内にボールを持ち込むとゴール前に食い付いて容易に下がらず、シュートの波状攻撃を繰り出すしぶとさで相手を苦しめた。対する西東京第1は、レベルの高い個人技と、あっと言う間に相手陣地深くまで切り込む速攻で、再三にわたり東京第5ゴールを脅かした。
しかし双方とも決め手を欠き、0−0のまま延長戦を終えPK戦へ。勝利の女神が微笑んだのは西東京第1側で、2年連続で栄冠を手にした。
昨年のレギュラーの中で唯一残った金栄阜Nは「今年も優勝できて嬉しい。自分たちの力を出せば必ず勝てると思っていた」と話し、オモニの尹玲淑さんも「子供たちの練習の成果が最高の形で表れて感無量だ」と話していた。
大会で選ばれた20人の優秀選手で組まれた選抜チームは、8月に奈良で行われる第3回「国際ボーイズカップ」サッカー大会(Tカップ)に出場する。
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同大会ではベスト4のうち3校を関東勢が占めたが、決勝リーグに進んだチームの実力はほとんど差がなく、大接戦が相次いだ。
実際、生野と千葉は東京第5に、尼崎は愛知第3に、横浜と大阪第4は東京第1にそれぞれ引き分けたが、得失点差や勝ち数の差で惜しくも準決勝進出を阻まれた。
蹴球団の李康弘部長も「確かに今回は関東勢の活躍が目に付いたが、全般的に実力は伯仲している」と指摘する。
西東京第1の無失点優勝は圧巻だが、他校の実力も接近しており、今後は混戦模様が続きそうだ。
たくさん勝てて楽しかった/初の準優勝 東京第5
東京第5は今回が4年連続8度目の出場。第14回大会では10年ぶりの出場ながら1部に進出。昨年も1部に進んだが中大阪に敗れ、ベスト8の壁をまたも越えられなかった。
メンバーの半分は去年からのレギュラーだ。決勝リーグで完敗した悔しさをバネに練習に励んできたという。休みの日には練習試合を行い、練習で得た理論を実践で鍛えた。
5月の都予選は1位で突破。本選でも勢いは止まらず、強豪に競り勝ちながら初の決勝にたどり着いた。結果はPKの末、惜敗。
でも応援に駆け付けた父母は大喜び。キーパーの李幸柱君のアボジ、李界和さんは「弱小だった東京第5が準優勝し、感激で言葉も出ない。試合ごとに成長していく子供の姿が嬉しかった」と感無量の様子だ。
「惜しかったけど、準優勝できて嬉しい。練習を頑張ったからたくさん勝てたし、楽しかった」との金東秀主将の言葉に、周りのチームメートは「これからも頑張ろう」と満足気な表情を見せた。
楽しむプレイが勝利に/東海で初入賞 愛知第3
東京第1との3位決定戦。PK戦で愛知第3の勝利が決まった瞬間、応援に駆け付けた父母らは「万歳!」「よくやった!」と飛び跳ねながら歓声をあげた。主将の崔盛e君も「1部に残ることが目標だったのに3位だなんて…。みんなで一生懸命頑張っただけに勝てて嬉しい」と大喜びだ。同校は第9回大会から12年連続で出場している。最近では一昨年に1部に進出したのが最高。昨年は3部の5位だった。
今大会では初日の予選リーグで川崎と倉敷をそれぞれ2−0で下し1部に進出。決勝リーグでも1勝1分けで念願の準決勝進出を果たした。参加チームの中でもとくに小柄だが、基礎のしっかりした細かいパス回しで相手陣を崩していく。準決勝で敗れたものの、その健闘に会場からは大きな拍手が送られた。
金秀成監督は「試合をするごとに選手が上達していくのが分かった。創造力を働かせ、楽しみながらプレーしたのが勝利につながった」と話していた。
のびのびと個人の能力発揮/中高級につながる指導
「勝ち負けにこだわらずのびのびとプレーを楽しませてあげたい」
優勝した西東京第1、準優勝の東京第5、3位の愛知第3の各校監督が共通して口にしていた言葉だ。
実際これらの学校の選手たちは楽しみながらプレーしていた。愛知第3の選手は、準決勝のハーフタイムに監督に向かって笑いながら言った。
「相手はスピードがあってうまいです」
同校の夫香蘭オモニは、決勝進出がかかっている緊迫した瞬間に飛び出した思いがけない言葉に一瞬驚いたが、楽しんでいる子供の姿に喜びを感じたという。
西東京第1のプレーを見ても、ドリブルで中央突破を図ろうとする個人技術が目についた。「勝敗にこだわらず、個々人の能力を高めてあげよう」との劉順植監督の指導方針が反映されたのだろう。
日本の中学・高校の公式大会への道が開けた今、ほとんどの初級学校の監督らは中・高級部へと技術がつながるように指導をするよう心掛けているという。
愛知第3の金秀成監督は「のびのびやらせてあげてこそ選手の創造力、技術が高まる。勝ち負けを意識していないわけではないが、それだけを教え込むのは良くない。サッカーを楽しむことが第1だ」と語る。
子供の技術向上のためにも「楽しい自由なサッカー」をどんどん普及して欲しい。
大会の歴史
同胞サッカー会の底辺を強化/日本の公式大会でも活躍
ちびっこサッカー大会が初めて開催されたのは1979年。在日同胞サッカー界の発展のために、その底辺となる初級部サッカークラブを強化しようと、在日本朝鮮人サッカー協会の主催で始まった。
同協会の金英徳副会長は「各地の朝鮮学校では古くからサッカーが盛んだったが、互いに技術を競い合う機会はほとんどなかった。全国の同胞ちびっこプレーヤーが互いに競い刺激を与え合うこの大会は、子供らの交流を深めるだけでなく在日同胞のサッカーのレベルアップの重要なステップになっている」と語る。
第1回大会の参加校は36校。数は年々増える傾向にあり、小規模のためチームを作れず参加できなかった学校も合同でチームを作り出場するなど、参加校の幅も広がった。12回からは女子プレーヤーも登場するようになった。
第5回大会(83年)からは優勝校の共和国訪問が実現。共和国のサッカーチームとの交流試合が行われるようになり、子供らの夢はさらに広がった。
また同大会開催以後、各地の体育関係者や教員らの働きかけにより関東や近畿、中・四国、東海地方など各地域・地方別に大会が広く運営され、初期に見られた地方別のレベル格差も解消されてきた。
こうした取り組みにより多くの学校がレベルアップし、日本の公式大会での優勝を含む上位入賞を果たしている。その過程で、インターハイ予選や全中大会などで活躍している選手が育っていることは事実だ。
96年からは世界各国から100チーム以上が集まる「国際ボーイズカップ」サッカー大会が開催され、同胞ちびっこ選手らは大会の優秀選手らで選抜チームを作り、共和国代表として出場している。昨年は出場2年目にして優勝するなど、その実力は国際大会の舞台でも花開いた。
同大会は選手らの技術向上だけでなく、父母らの愛校心をもり立てる一つの促進剤にもなっている。
大会を機に千葉や埼玉、尼崎をはじめ各校では、それまでほとんどなかったサッカー部後援会が次々に発足した。試合の応援はもちろん、ボールやユニホームなど用具を提供するほか、子供と一緒に練習し技術の指導にも当たるなど活発な活動を展開している。
東春初級アボジ後援会の張俊男さんは「子供との新しいコミュニケーションが生まれ、今まで以上に教育問題、学校問題に関心を持つようになった」という。
ちびっこサッカー大会は子供たちの活躍の場であるばかりか、民族教育を支持する父母や同胞らの輪を広げるうえでも大切な場になっている。
1位 | 2位 | 3位 | |
第1回(79年) | 西播 | 京都第2 | 下関 |
第2回(80年) | 東京第2 | 尼崎 | 東大阪第3 |
第3回(81年) | 東大阪第2 | 京都第2 | 京都第3 |
第4回(82年) | 千葉 | 東京第2 | 埼玉 |
第5回(83年) | 西播 | 北大阪 | 京都第2 |
第6回(84年) | 北大阪 | 尼崎 | 埼玉 |
第7回(85年) | 埼玉 | 西播 | 宝塚 |
第8回(86年) | 埼玉 | 東京第4 | 西播 |
第9回(87年) | 埼玉 | 東京第1 | 西播 |
第10回(88年) | 尼崎 | 埼玉 | 高砂 |
第11回(89年) | 埼玉 | 東京第3 | 西播 |
第12回(90年) | 東京第4 | 泉州 | 西神戸 |
第13回(91年) | 東大阪第4 | 埼玉 | 横浜 |
第14回(92年) | 埼玉 | 城北 | 西神戸 |
第15回(93年) | 大阪第4 | 生野 | 埼玉 |
第16回(94年) | 西神戸 | 大阪第4 | 東大阪 |
第17回(95年) | 中大阪 | 西神戸 | 大阪第4 |
第18回(96年) | 尼崎 | 北九州 | 千葉 |
第19回(97年) | 西東京第1 | 横浜 | 中大阪 |
第20回(98年) | 西東京第1 | 東京第5 | 愛知第3 |