朝鮮人民軍と国際連合軍、板門店で将官級会談
6月25日発朝鮮中央通信によると、朝鮮人民軍と国際連合軍間の将官級会談が23日、板門店で行われた。
人民軍の李賛馥中将と、米空軍のマイケル・V・ヘイドン少将が各々の代表団を引率した。
朝鮮人民軍側は会談で、停戦協定が履行されず停戦機構がマヒした条件のもとで、朝鮮半島の強固な平和と安全を保障するためには、朝米間で平和協定が締結され、南朝鮮から米軍が撤収しなければならず、それまで双方間で武力衝突と突発事件などを防止し、解決するための新たな装置を作らなければならないという立場を明らかにした。
双方は、朝鮮半島の現実発展の要求に沿って停戦協定を真しに客観的に検討し、それに伴う対策を講じるための会談を継続することにした。(朝鮮通信)
朝鮮半島の平和と安全、共和国の一貫した立場
今回の朝鮮人民軍側の主張は、これまでも共和国が一貫して主張してきたことである。
朝鮮人民軍と中国人民志願軍を一方とし、国際連合軍側が調印した1953年7月27日の朝鮮停戦協定第4条では、「調印発効後3ヵ月以内に朝鮮から全外国軍の撤収と、朝鮮問題の平和的解決のために関係国の政治協商開催を建議する」と明記されている。しかし停戦から45年が過ぎた今もこうした会談は実現されず、朝米は交戦状態、敵対関係にある。
現在、停戦協定は、米国の相次ぐ違反によって、朝鮮半島の平和保障に何の役割も果たせず、有名無実化している。
停戦委員会も91年まで459回運営されてきたが、解決された問題は何一つなく、米国がその後、委員会に加わる法的資格も権限もない南朝鮮軍将官を「国連」軍側首席委員に任命して以来、会議は開かれていない。
94年12月の米軍ヘリコプター不法侵犯事件の際も、米国の国会議員や特使が訪朝して処理した。つまり朝米間で解決してきたのである。
共和国は74年に停戦協定の平和協定への転換を米国に提案したのを皮切りに、84年に朝米間での平和協定締結と、南北間の不可侵宣言採択を内容とする3者会談を呼びかけた。
さらに94年には新しい平和保障システムの樹立を提案したが、それでも米国が応じないため、96年2月に平和協定締結までの暫定協定締結と、停戦委員会に代わる朝米共同軍事機構の発足、そのための該当クラスの協議開催を米国に提案していた。
同年七月には、暫定協定を締結し、暫定機構を設ける問題と関連して朝米将官級会談を開くための実務協議の再開を呼びかけていた。
このような共和国側の要求に、米国側が立場を変えて応じてきたことで、将官級会談が開かれることになったと言える。
会談で共和国が提案した「新たな装置」とは、朝米間の暫定協定を指すものと見られる。これまでの提案で共和国は、暫定協定には、軍事境界線と非武装地帯の管理など停戦状態を平和的に維持するための秩序維持と関連する問題が含まれるとしている。
停戦状態を平和状態に転換し、新たな平和保障システムを構築するためには、緊張激化と戦争の根源である南朝鮮駐屯米軍の撤収問題は避けて通れない。会談で米軍撤収問題が論議されたとしても、完全撤収までには時間を要するだろう。停戦協定が形がい化し、本来の機能を果たしていない条件のもとではまず、暫定協定締結が必要だ。
朝米基本合意文(94年10月)調印後の同年12月に発表された米議会調査報告書は、米政府が議会の承認なしに駐南朝鮮米軍問題、停戦協定問題の協議を、共和国政府と直接行うことができると指摘している。暫定協定の締結が、政治・経済の正常化をうたった朝米基本合意文の履行にも好影響を与え、新しい状況を生むことにもなる。
今回の将官級会談について、カートマン国務省次官補代理(朝鮮半島問題担当大使、前東アジア・太平洋担当)は5月末の公聴会で、「米朝が合意」したものと発言している。
今回の会談について朝日新聞6月23日付は、「米朝平和協定の締結をめざして米国との直接対話を追求してきた共和国の意向が通った形だ」と指摘している。(基)