共和国の「日本帝国主義の朝鮮占領被害調査委員会」、告訴状を発表
共和国の「日本帝国主義の朝鮮占領被害調査委員会」は6月22日、日本帝国主義による朝鮮人強制連行を日本国家による超特大の拉致犯罪と非難する告訴状を発表した。その内容は次のとおり。(朝鮮通信、中見出しは編集部)
日本の朝鮮人強制連行は超特大の拉致犯罪
日本帝国主義者が朝鮮に対する侵略と軍事的占領の時期、朝鮮人民におびただしい災難と不幸、苦痛と犠牲を強いたことは周知の事実である。
これまでに公開された資料によっても、日本帝国主義は朝鮮に対する植民地支配の時期、600万人以上の朝鮮人青壮年を強制的に拉致、連行して自らの侵略戦争遂行の道具として利用し、挙げ句には自分たちの犯罪が世界に露になるのを恐れ、彼らをあらゆる方法で虐殺する蛮行を働いた。
かつて日本がわが国で行った拉致、連行犯罪は、その野蛮性と悪らつ性において人類史に類例を見ない。
敗北した日本は当然、朝鮮人拉致、連行の真相を調査し、謝罪すべきであった。
しかし、日本は20世紀前半期の拉致、連行犯罪に対し、今世紀が終わりつつある今日まで認定も謝罪もせず、逆に歴史の闇の中に葬り去ろうとしている。
歴史は偽造も抹殺もできない。
罪悪に満ちた過去の歴史から教訓を求めようとせず、認めようともしないことは、過去の罪悪を繰り返すのと同じである。日本当局は今、まさにそのように行動している。
当委員会は、日本帝国主義が行った朝鮮人強制連行犯罪を全世界に告発することで、日本の危険な行動に警鐘を鳴らし、日本帝国主義による前代未聞の大惨劇の再現を防止するため、この告訴状を発表する。
侵略戦争の直接的な産物
歴史的に多民族を拉致
日本は歴史的に他民族に対する拉致の前科を抱えている罪多き国、拉致の元凶である。
今から四百余年前の壬辰倭乱祖国戦争(1892〜98年)時、日本は朝鮮を侵略し、朝鮮の技術者や専門家、罪なき人民を集団的に拉致した。
壬辰祖国戦争後、朝・日国交回復のための会談での惟政(四溟堂)の巧みな外交活動によって、日本に拉致された1万人ほどの朝鮮人が送還された事実だけを見ても、当時どれほど多くの朝鮮人が日本に拉致されたかが分かる。
日本帝国主義は李王朝の王族も平然と拉致した。
1907年、朝鮮侵略の元凶である朝鮮統監の伊藤博文は、高宗皇帝の息子である英親王、李垠を日本に強制連行した。日本統治層は拉致した英親王を日本の王女と政略結婚させ、1925年には高宗の娘も拉致した。
20世紀に官権と軍権を発動して行った、日本帝国主義の朝鮮人青壮年に対する拉致と強制連行は、その野蛮性において中世紀の奴隷狩りをはるかに凌ぐ超特大の拉致犯罪である。
悪法作り徴用・徴兵
人間を不法的手段で強制的に捕らえることは厳然たる拉致行為であり、どの国でも犯罪行為と規定されている。
日本帝国主義が朝鮮人民に対して行った強制連行、拉致政策こそ、植民地的略奪と民族抹殺意識に基づいた政治的・人倫的迫害行為として、人道に対する犯罪行為となるのである。
日本帝国主義が強制連行、拉致行為を行うに至った動機は、日本自らが挑発した侵略戦争の直接的な産物によるものである。
日本の戦争狂信者たちは、侵略戦争をエスカレートさせるにつれ、兵力と労働力のひっ迫に直面するようになった。
戦線の拡大に伴う莫大な人的・物的消耗は、日本の兵力と労働力を枯渇させ、日本帝国主義はこうした兵力と労働力を植民地朝鮮で賄おうとした。
日本帝国主義は、朝鮮人労力を官権で徴発、連行するために「国家総動員法」(1938年4月)や「国民徴用令」(1939年7月)などの悪法を作り、朝鮮で実施した。
戦線での敗戦が重なるにつれ、「改正国民徴用令」(1943年9月)や「壮年全員に対する徴用令」「学徒勤労令」「女子挺身隊勤労令」(1944年8月)なども作り、すべての朝鮮人青壮年を職業や年齢、性別に関係なく強制徴発した。
初期には懐柔と強権を組み合わせた「人夫募集」や「官斡旋」などの形態も見られたが、戦争が拡大した1940年代に入ってからは、そうしたベールすら外して「徴用」「徴兵」の名目で拉致と強制連行を公然と行った。拉致方法は誘拐と強権が結び付いたものだったが、基本は強権であり、誘拐は強権によって裏打ちされていた。
「徴用」や「徴兵」「挺身隊」で連行された被害者たちは一様に、強制連行の過程が単純な「募集」ではなく、強制的な誘拐、拉致、逮捕であったことを証言している。
日本帝国主義によって拉致されて苦役を強いられ、九死に一生を得たパク・サンジン氏は、「寝ている時に襲われて引っ張っていかれた話などを聞いていたので、1年間あまり晩になると山に入りムシロ一枚で隠れて寝ていましたが、ある日発見されてしまいました。家にやってきたのは面事務所の役員と警官で、佐賀の炭鉱労務係の3人も一緒でした。無理矢理に面事務所に連れて行き『お前は徴用になったので日本に行かなくてはならない。2年間だけ真面目に働けば必ず帰してやる』と言いました。もう仕方がないと思って連れて行かれましたが、釜山では200人程度集められていました。1943年のことです」(「月刊朝鮮資料」1974年9月号)と証言した。
また、平壌市中区大同門洞在住のキム・セグク氏は、「1940年当時、平安北道義州郡松長面雪梅洞で暮らしていた私は、14歳の時に日帝に捕らえられ、口では言い尽くせない苦役を強いられた。当時、私は松長公立尋常小学校に通っていた。…卒業を控えたある日、日本人の教員に無理矢理に新義州に連れて行かれた。新義州の会社の出張所には少女80人と同年代の少年20人がすでに連れて来られていた。日本人は『金田良吉』と書かれた名札を私の首にかけた。彼らは私から名前まで奪い、終身雇用労働者に仕立てようとした」と証言した。
「従軍慰安婦」犯罪も
強制連行の拉致的本性は、朝鮮女性を「従軍慰安婦」として強制連行する過程に一層明白に表れ
た。
「従軍慰安婦」強制連行責任者の1人、吉田清治氏は、強制連行が日本当局の指示によるものだったと明らかにし、「私が直接指揮して強制連行した『従軍慰安婦』だけでも1000人を超える。一言で言って『人間狩り』だった。明らかにすべきことは、募集したのではなく、強制的に拉致したという点である。『挺身隊』募集に自発的に応じた人は1人もいない。『従軍慰安婦』を強制連行した場所は主に朝鮮である」と証言した。
「従軍慰安婦」体験者の証言によると、当時、日本帝国主義は幼い少女までも強制連行し、条件の良い職業を斡旋すると言って誘拐し、結婚式間近の女性まで強制的に拉致、連行した。
枇○郡(○は山へんに見―ピヒョン郡)台平里在住のキム・グンスクさんは、「解放前、ソウル市内の学校に通っていた私は、1938年8月のある日、同窓生と公園へ遊びに行ったところ、『娘狩り』にかかった。3人の日本人が無理矢理に私たちを駅舎へ連れて行き、荷物のように貨車に乗せ、当時の満州の奉天地方に連行した」と証言した。
麟山郡麟山邑のリ・チュンファさんは、「1940年7月のある日、私が小間使いをしていた地主の家に中原という日本人が来た。彼は地主と何やら話し始め、金儲けできる所に送ってやると言って、私を沙里院駅に連れて行った。駅に着いて初めて私は、彼に騙されたことに気がついた。同じ邑に住んでいたキム・ヨンジャという全羅道出身の女性が、殴られて血まみれになって列車に乗せられていた。彼女は、夫が働きに出た間に強制的に連行されたのである。こうした女性たちがたくさんいた」と述べた。
他民族に対する差別と蔑視、虐待と殺害を生存方式とした日本の朝鮮人拉致犯罪は、人権を否定した反人倫的、非人道的な戦争犯罪そのものである。
過去反省し謝罪・保障を
東南アジアにも連行、虐殺
日本軍国主義者は1968年、「明治維新」によって政権を握るや海外侵略に乗り出し、日本近代史の約百年間は侵略戦争史で綴られた。
1894〜95年の日清戦争と、1904〜5年の日露戦争を通じて清国とロシアを武力で抑え、勢いを得た日本軍国主義者は1905年、朝鮮を軍事的に占領、1931年に「9・18事変」をねつ造して満州を占領し、1941年に太平洋戦争を挑発した。
日本帝国主義はマレーシア、シンガポール、フィリピンなど東南アジア諸国と太平洋一帯の島々を次々と奇襲、占領していった。
太平洋の島々や南方に強制連行された朝鮮人の数を、「アジアの声」第2集(84ページ)は100万〜150万人と明らかにしている。
日本侵略軍は中国大陸を皮切りに、ベトナム、カンボジア、タイ、ミャンマー、マレーシア、フィリピン、太平洋上の諸島と日本軍隊が占領した各地の戦場に、強制連行した朝鮮人青年男女を軍隊労務者や「従軍慰安婦」として連れて行き、集団的に虐殺した。
資料によると、マーシャル諸島のマキン島で2800人、タラワ島で1600人、クァジャーレ湾で6000人、クサイで7000人、マユエラフで800人、硫黄島で1900人、マリアナ諸島のサイパンで1200人、トラック島で4000人、クリル列島で5000人、沖縄の慶良間島で1500人、ウルップ島で2500人、ニューギニアで2063人など、約4万人の朝鮮人青年男女が非業の死を遂げた。
強制連行された「従軍慰安婦」は、肉体的負担に耐えきれず死亡するか、日本軍によって個別的、集団的に惨殺された。
この断片的な資料だけでも、日本帝国主義が拉致、連行した朝鮮人に対する意図的な虐殺がどの程度に至っていたかを実証している。
世界各国も要求
日本帝国主義による朝鮮青壮年に対する強制連行は、日本国家によって行われた永遠に許されない反人倫的犯罪であり、前代未聞の超特大拉致犯罪である。
日本帝国主義による拉致と連行、集団虐殺の直接的犠牲者数は、数十から数百万に達し、朝鮮人民に決して忘れられない傷と恨みを抱かせた。
「法治国家」を自称する日本の不法・非道な妄動は、世界の良心と正義に対する挑戦であり、愚ろうである。
日本帝国主義に拉致、誘拐され、奴隷労働と「従軍慰安婦」生活、日本侵略軍の弾よけにされた被害者、受難を強いられた歴史の証言者たちは、死んでも日本帝国主義の許し難い蛮行は忘れないと叫んでいる。
のみならず、日本帝国主義が敗北して半世紀が過ぎるまで、数万を数える朝鮮人強制連行者の生死すら知らされず、彼らの消息を待つ肉親や友人の恨みは天をも衝かんばかりである。
かつて日本帝国主義の侵略を受けたアジアと米国、英国、オランダなど世界の至る所で、日本帝国主義の拉致、強制連行、集団虐殺を非難しており、日本当局が罪を素直に認めて謝罪するよう求める声が高まっている。
これは、罪悪の過去と決別しようとしない日本に対する、世界の糾弾と正当な要求の表れである。
人類史に類例を見ない反人倫的罪を犯しながらも、それを正当化し、罪を他人に着せる日本の破廉恥な行為は絶対容認されない。
日本は今、かつての罪を永遠に歴史の闇に葬り去ろうと権謀術数に固執しているが、正義と良心は常に歴史を正しく判決し、日本は歴史の審判台に引きずり出されるであろう。
日本当局は罪深い過去を素直に反省せず、時間を延ばせば延ばすほど、被害者と世界の良心の指弾の声がそれだけ一層高まり、その代償もより大きくなることを認識すべきである。
日本当局は被害者の仮面を被り、世界の良心を愚ろうしながら愚かな策動に固執するのではなく、朝鮮人強制連行をはじめすべての犯罪の事実に対する全責任を認め、その真相を徹底的に調査、公表すべきである。自らの犯した罪に対する誠実な反省と謝罪のみが日本の活路である。
今日、朝鮮人強制連行犯罪を認めて心から謝罪するよう日本当局に圧力を加えることは、人間の尊厳と人権を守る人類共同の課題である。当委員会は、日本当局に対する非難の声を高めるよう、世界の正義と良心に改めて呼びかける。