米国は朝鮮戦争挑発者/朝鮮中央通信@
朝鮮中央通信は6月24日発から、「米帝は朝鮮戦争挑発者」と題する記事を報道し始めた。その内容を随時、紹介する。
戦争挑発計画
米国は長期にわたり朝鮮侵略戦争挑発作戦計画を準備してきた。米国のこの作戦計画は、朝鮮の38度線以北地域を占領することであった。
当時の米大統領トルーマンは1949年、マッカーサー米極東司令官に朝鮮侵略戦争計画の作成を指示した。この指示に従い「R―3」という計画が作成された。マッカーサーは、南朝鮮駐在米軍顧問団のロバート団長、南朝鮮軍の高位将官、日本の軍事関係者に38度線突破の作戦計画の作成命令を出した。
彼らは38度線突破に集中できるよう、力量と機材を編成した。そして、主打撃を開城―金川―平壌方向で行い、甕津半島―信川―沙里院方向、漣川―葛麻方向、華川―金化方向、襄陽―高城方向を攻撃することを計画した。これと共に、米空軍と米海軍が戦争初期から作戦に参加し、米地上軍(米第24師団、=米第25師団、米第7師団、米第1機甲師団)は戦争開始後、迅速に侵入することを見越した。
「R―3」朝鮮戦争挑発計画は49年秋、米大統領と軍関係者の審議を受け、その後、米国家安全保障会議で討議、批准された。米国は朝鮮戦争が勃発する場合、自らが取る「特別行動」に関する「NSC―68」作戦計画も作成した。この作戦計画は朝鮮戦争挑発に関連し、「米合衆国政策の基本指針」となった。
米国のすべての朝鮮戦争挑発計画は直ちに作戦指導に具体的に描写された。そして、軍関係者はそれを通じて作戦研究と準備を進めた。
侵略武力の準備
米国は南朝鮮に乗り込んだ当初から、共和国を侵略するための戦争準備を進めた。
米国は45年10月、南朝鮮「国防準備計画」に基づき、「国防司令部」と「国防警備隊」を組織した。また、秘密指示によって南朝鮮の各道に編成人員より20%多い中隊が1個ずつ組織された。その後、大隊、連隊が編成された。
このような方法によって、米国は46年4月現在、8個の南朝鮮軍連隊を確保。また45年12月に軍事英語学校、46年1月には海軍兵学校を設けた。
米国と南朝鮮当局は47年12月初、すでに各道に組織された連隊で3個旅団を編成し、陸軍の様相を備えた。
48年1月から5月までの期間に7個連隊、2個旅団を組織した。兵器、通信などの専門兵・勤務兵部隊が新設された。
米国は48年11月末、「国軍組織法」を設け、武力を大々的に増強し、49年6月に南朝鮮軍武力を8個師団に増強編成した。
陸軍武力編成と共に米国は、南朝鮮に空軍と海兵隊まで組織した。
米国の南朝鮮の陸海空軍に対する武力増強策動によって、その兵力総数は49年に5万余人の警察を含め16万人に達した。
米国は49年だけでも1億9000万ドルに相当する10万5000余丁の小銃とカービン銃、2000余丁の重機関銃と軽機関銃、5000余万発の弾薬、そして、各種の砲と砲弾、5000台の軍用貨物車、5万個の地雷・爆発物、79隻の艦船と20余機の飛行機などを南朝鮮軍に供与した。
兵力の戦時需要を保障する目的のもとに125万人の青少年と学生を予備兵力として掌握し、軍事訓練をさせた。
米国は南朝鮮軍武力に対する統帥権を掌握するため、南朝鮮占領米軍司令官が南朝鮮軍の訓練と作戦指揮を受け持つようにした。(朝鮮通信)