和解、平和、統一/朝鮮半島情勢を読む(2)将官級会談
朝米平和協定締結へ/武力衝突を防止、停戦協定を検討
鄭周永・現代グループ名誉会長一行の板門店通過帰還(6月23日午前10時)とほぼ同じ時刻、板門店で朝鮮人民軍と国際連合軍の将官級会談が開かれた。人民軍は会談で、「停戦協定が履行されず停戦機構が麻痺した条件のもとで、朝鮮半島で強固な平和と安全を保障するためには、朝米平和協定が締結され、南から米軍が撤収しなければならず、それまで双方間で武力衝突と突発事件などを防止し、解決するための新たな装置を作らなければならない」と主張した。
米率いる国際連合軍と
米国は、朝鮮戦争勃発直後の1950年7月7日の国連安全保障理事会決議84に基づき、「国際連合軍」の一員として参戦、「国際連合軍の統一司令官」の権限も付与された。「国際連合軍」には米国のほか、オーストラリア、タイなど15ヵ国が参加。一方、中国人民志願軍は同年10月に参戦後、停戦協定調印(53年7月)まで人民軍と共に戦った。
停戦協定には、朝鮮人民軍最高司令官の金日成元帥と中国人民志願軍の彭徳懐司令官、「国際連合軍司令部総司令官」のクラーク米陸軍大将が署名、調印(南朝鮮は協定調印を拒否)。停戦協定は第4条で、「調印発効後3ヵ月以内に朝鮮から全外国軍の撤収と、朝鮮問題の平和的解決のために関係国の政治協商開催を建議する」と明記しているが、国連軍側が会談開催を無視し、一度も実現されていない。
一方、停戦委は91年3月、米軍が協定調印者でない南朝鮮軍将官を停戦委国連軍側の首席委員に任命して以来、麻痺。そのため共和国は94年4月、新平和保障システムの樹立を米国に提案、5月に形がい化した停戦委に対応して人民軍板門店代表部を設置した。
96年2月には武力衝突と突発事件発生時の解決方途などの問題を含む平和協定締結までの暫定協定締結、それを履行、監督する朝米共同軍事機構を設置するための該当クラスの協議開催を米国に提案。そして7月、暫定協定締結などのための朝米将官級会談の実務協議再開を呼びかけた。
こうした流れを背景に、朝米接触が行われる中、今年3月13日に板門店で朝鮮人民軍と国際連合軍側の実務協議が行われ、会談開催で合意。6月8日の協議でそのクラスを「将官級会談」とすることで一致、今回の会談が実現した。
ところで共和国は、将官級会談について「米軍将軍が率いる国際連合軍側」と行ったと伝え、停戦委の一方である国連軍とは区別しているようだ。つまり今回の将官級会談は停戦委本会談(将官級)とは「別の対話チャンネル」と言える。
潜水艇問題を解決
会談で双方は、「朝鮮半島の現実発展の要求に沿って停戦協定を真しに客観的に検討し、それに伴う対策を整えるための会談を継続する」ことに合意。6月30日の第2回将官級会談では、遭難した共和国の潜水艇船員の遺体返還で合意を見て、7月3日に共和国は米軍から遺体を引き取った。遺体返還は、人民軍と国際連合軍間の将官級会談というチャンネルが有効に機能したからこそ、早期に解決されたと言える。(基)