米国の朝鮮戦争敗北A/朝鮮中央通信
351高地戦闘
朝鮮の江原道東部に位置する351高地は重要な戦術的要衝地の1つである。 1951年からこの高地を占領した米国は、ここを堅固な防御点にして東海岸から上陸する部隊と合流し、前線の翼面を突破して朝鮮人民軍の縦深に入りこもうとした。
最新工兵技術を導入して2つの円形塹壕と20余の堅固なトーチカを設置した敵は、南側の無名高地に接する秘密トンネルまで掘った。隠蔽部やトーチカ、トンネルなどの出入り口には鉄条網をはりめぐらし、手榴弾が中に投げ込まれないようにした。
塹壕から25〜30メートル前には地雷原を隙間なく形成し、その内と外に3列の鉄条網を3〜5メートル間隔で幾重にも巻いた。
敵は351高地をこのようにつくりあげ、「難攻不落の要塞」と豪語した。
53年6月2日、朝鮮人民軍の部隊は一斉砲射撃で351高地に対する攻撃を開始した。
2年以上をかけて築いた敵の要塞は、たったの15分で占領された。
敵は飛行機、地上砲、艦砲などの打撃手段を総動員して奪われた351高地を取り戻そうと執拗に攻撃。こうして高地のすべてが焼けただれ、岩一つ原形をとどめるものはなかった。
人民軍兵士は大衆的な英雄主義と犠牲を発揮し、1日に数10回ずつ襲ってくる敵の執拗な攻撃を挫折させ、祖国の高地を最後まで死守した。
注文津海戦
注文津(江原道)海戦は世界海戦史上類例のないものの1つである。注文津海戦は、人民軍の魚雷艇4隻が「海上の動く島」と誇る米国の重巡洋艦ボルティモアをはじめ大型艦船を相手にした戦闘であった。
開戦初期、米国の重巡洋艦と軽巡洋艦、駆逐艦からなる敵の艦隊は、江陵、墨湖、三陟地区の海上で人民軍隊の海岸側面を威嚇し、都市と農村への砲撃を加えていた。この艦隊を掃滅する任務を受けた朝鮮人民軍の海軍第2魚雷艇隊は50年7月2日早朝、注文津沖合で敵に立ち向かった。明るいうちには敢えて向かってこれないだろうと考えていた敵は、人民海兵が攻撃を開始するや、数百門の砲射撃を一斉に加え始めた。
敵と味方の間に激戦が繰り広げられた。
魚雷艇は、敏速な機動で敵の重巡洋艦に接近し魚雷攻撃を行った。
連続して2発の魚雷を受けたボルティモアは傾き始め、炎に包まれた甲板上は、救命ボートと浮輪を探し回る敵で混乱した。
人民軍兵士は続いて、敵の重巡洋艦を撃破するという成果を収めた。
注文津海戦での勝利は、東海岸に沿って進撃する人民軍歩兵連合部隊の戦闘を援護するうえで大きく寄与した。(朝鮮通信)