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共和国創建50周年/金正日総書記と共和国A

経済/江界精神


自力更生で困難克復/各単位の活性化がカギ

自立的民族経済の土台

 共和国は、朝鮮戦争(1950年6月〜53年7月)後の戦後復旧3ヵ年計画(54〜56年)、5ヵ年計画(57〜60年)、第1次7ヵ年計画(61〜70年)を通じて社会主義工業化を実現した。69年に工業と農業の総生産額で工業分が74%を占めたのだ。

 社会主義工業化の基本内容は、自立的工業システムを整えることだが、その基礎は5ヵ年計画後の千里馬運動の時期に築かれた。運動の発端になったのは降仙製鋼所(現千里馬製鋼連合企業所)である。

 戦後復旧後、初の計画遂行で緊要だったのは鋼材だ。鋼材は鉄道運輸部門ではレールや機関車に、船舶工業部門では造船に使われるなど人民経済各部門でなくてはならない資材だ。

 54年から同製鋼所で働いているホ・インファン職場長(61)は当時をこう振り返る。

 「『鋼材を1万トンだけでもより多く生産できれば国がひと息つける』と述べた金日成主席の期待に応えるために頑張りました。他人が1歩進めば、われわれは10歩を、他人が10歩進めば、われわれは100歩を走ったのです」

 その結果、降仙の労働者たちは、既存の設備では年間6万トンしか生産できないところを最終的には12万トンの鋼材を生産。5ヵ年計画初年である57年度の工業総生産計画を117%超過達成した。これは前年に比べて44%も増大したことになる。

 こうして始まった千里馬運動をもう1段階発展させるため、58年9月には平壌で全国生産革新者大会が開かれ、全国の労働者たちに集団的革新運動を展開するよう呼びかけた。こうして農業生産を高めるためのトラクターやトラック、ブルドーザーなどが次々と生産された。

 さらに、60年8月には平壌で第1回全国千里馬作業班運動先駆者大会が開かれ、千里馬作業班を千里馬職場に拡大発展させることが提起された。その結果、千里馬作業班は工業ばかりでなく農業、運輸、科学、教育、文化、保健、商業流通など人民経済のすべての部門にわたって全国的に広がる。そして69年に自立的民族経済の土台が築かれたことで社会主義工業化が実現したのである。

 

電力問題を解決

 共和国は80年代末以降、@ソ連、東欧崩壊による社会主義市場の喪失 A米国を中心とする国際的な共和国抹殺策動 B4年続きの自然災害――によって、かつてない困難下で社会主義建設の推進を余儀なくされている。94年7月8日には主席の逝去という最大の悲しみに見舞われた。

 しかし朝鮮人民は金正日総書記の指導のもと、96年以降の「苦難の行軍」を通じて、「困難な峠を成功裏に克服」(今年の労働新聞などの共同社説)。

 総書記は1月16日から6日間、慈江道を現地指導したが、同道では国家から材料の供給を受けることなく各所に自力で中小型発電所を多数建設し、電力問題を自力で解決した。

 降仙の労働者が自力更生の精神で鋼鉄を増産して千里馬大高揚を起こしたように、その精神は慈江道で生まれた「江界精神」として継承されたのだ。

 共和国では年始から、経済の基本路線である重工業の優先的発展を保証しながら軽工業と農業を同時に発展させることを強調してきた。慈江道のようにまず電力問題を解決し、工場や企業所をフル稼働させて他の経済部門を活性化させようという意図が込められている。ちなみに全国各地では今年に入りこれまで、計2000余ヵ所に中小型発電所が建設された。

 

拡大再生産の方法

 総書記は慈江道に続き、3月9日には鋼鉄生産を高い水準で正常化するための協議を行うために咸鏡北道の城津製鋼連合企業所(城鋼)を、6月1日には慈江道煕川市内の工場、企業所を現地指導した。

 同工場では現在、建国50周年までにフライス盤を200台以上生産して東南アジアなどの市場に輸出する計画という。これは既存の設備をフル活用して重工業を中心に経済を立て直すという、国の方針の一環でもある。つまり、中小型発電所を建設することで電力問題を解決し、工業の主要原料である鋼材を生産して輸出品を増産することで、外貨を獲得する。その外貨を国の主要工業部門に投資する拡大再生産の方法で、工業を立て直すということだ。

 総書記の一連の現地指導は点から線へと結ばれ、さらに太い線となって全国に拡大されようとしている。

 50年代の降仙の精神が千里馬大高揚を呼び起こしたように、こんにちの江界精神には朝鮮式社会主義建設で新たな転換的局面を切り開くという大きな期待が込められている。(基)