創建50周年/金正日総書記と共和国B
外交/対米関係
基本合意文の履行促す/敵視政策の根本的転換を
45年続く交戦状態
共和国の外交において米国は、朝鮮戦争以来の敵対関係を解消し、関係改善を行う対象である。
1945年9月、米国が南朝鮮の仁川に軍隊を上陸させたことで、米国による南朝鮮の占領が始まった。50年6月25日には朝鮮戦争が勃発。朝鮮戦争は、「(売国奴李承晩一味のかいらい軍による)共和国北半部に対する不意の武力侵攻」(金日成主席の50年6月25日の演説「断固たる反撃によって武力侵略者を掃討しよう」)である。米国は同年7日7日の国連安全保障理事会決議84に基づき、「国際連合軍」として参戦し、「統一司令官」任命の権限も「付与」された。
米国の参戦は、「朝鮮代表の参加もなく、またソ連や中国代表の参加もなしに、国連憲章に違反して 採択 された安全保障理事会の 決定 をたてにした武力侵攻」(主席の同年7月8日の演説「アメリカ帝国主義者の武力侵攻を断固撃退せよ」)である。
朝鮮戦争は3年間続き、53年7月27日に停戦協定が締結された。停戦協定第4条には、「調印発効後3ヵ月以内に朝鮮から全外国軍の撤収と、朝鮮問題の平和的解決のために関係国の政治協商開催を建議する」と明記されている。しかし停戦から45年が過ぎた今もこうした会談は実現せず、朝米の交戦状態、敵対関係が続いており、情勢は不安定なままだ。
10年前の88年12月、北京で参事官レベルによる朝米接触が始まって以来、朝米関係が徐々に雪解けし始める。93年6月から朝米会談が始まり、94年10月には朝鮮半島の核問題解決と両国関係の完全な正常化を明示した朝米基本合意文が調印された。これによって朝鮮半島を取り巻く環境は大きく変わった。
経済制裁緩和が鍵
「米国は、朝鮮問題に直接的な責任がある当事者として当然、自身が署名した公約と義務を誠実に履行すべきである。…われわれは、米国を100年来の宿敵とは見ようとはせず、朝米関係が正常化されることを望んでいる」
金正日総書記は97年8月4日の論文「偉大な領袖金日成同志の祖国統一遺訓を徹底的に貫徹しよう」でこう指摘し、米国に朝米基本合意文の履行、関係改善を促した。
現在の基本合意文の履行現状はどうか。
米国が共和国に提供する軽水炉の建設は、昨年8月に現地で着工式が行われたが、朝鮮半島エネルギー開発機構(KEDO)内部の事情で、全般的な費用分担が決まらず停滞していた。さらに軽水炉完成までの代用エネルギーとして、毎年50万トン(約6000万〜6500万ドル)の重油を共和国に提供することになっているが、米議会が今年承認した予算は3000万ドルにすぎない。
また、米国は経済制裁と関連した実質的な措置を講じていない。
合意文には、調印後3ヵ月以内に双方が、貿易と投資の障壁を緩和することが明記されている。共和国はこれに沿って95年1月、米国に対する一切の経済障壁を撤廃したが、米国は一部のみ実施し、4年が過ぎた現在も共和国に対する経済制裁の全面解除を実施していない。
ちなみに米国の対北制裁は、朝鮮戦争が勃発した50年6月25日に採択された「共和国に対する援助供与を慎む」という国連安全保障理事会決議に基づいている。米国は決議採択3日後の6月28日に輸出管理法、同年12月17日には対敵性国交易法などを適用し、一切の経済交流を禁止してきた。
しかし合意文が調印された条件のもとで、米国が対北制裁緩和を実施できない理由はなく、最近では米国内からも制裁解除を求める声が高まっている。
経済制裁の全面解除は実質的には敵視政策の転換となり、今後の朝米関係の進展を占う重要なカギとなる。
平和協定締結を
一方、基本合意文調印後、朝米間では朝鮮半島の平和と安定を実現するために、各種のチャンネルを通じて対話が行われている。
ニューヨークやワシントンなどでの朝米高官会談・接触をはじめ、4者会談(ジュネーブ)が2回、将官級会談(板門店)が3回、ミサイル協議(ベルリン、ニューヨーク)が2回行われた。とくに4者会談と将官級会談で共和国は、有名無実化した朝鮮停戦協定に代わる朝米平和協定締結と駐南朝鮮米軍の撤退を要求した。停戦状態に終止符を打ち、朝鮮半島の恒久的な平和体制を構築しようとの立場からだ。
米国が冷戦時代の古い観念から脱して力の立場で朝鮮問題に臨むのではなく、朝鮮半島の平和と統一に有益なことをすれば、朝米関係は両国人民の利益に即して発展するだろう。(基)