建国50周年迎える共和国
共和国は明日、創建(1948年9月9日)50周年を迎える。日本の植民地支配からの復興、3年間にわたる朝鮮戦争、外勢によって常に民族と国の自主権が危機にさらされる中での社会主義建設の推進など、共和国が歩んできた道程は決して平坦ではなかった。しかし朝鮮人民は、立ちはだかる困難を持ち前の楽観主義で克服し、チュチェ思想に基づく人民大衆中心の朝鮮式社会主義を建設してきた。9月5日には最高人民会議第10期第1回会議が招集された。喜びに溢れる平壌市民の表情を伝えるとともに、45年8月15日の祖国解放から共和国創建に至るまでの過程について見た。
平壌の表情/祝賀ムードは最高潮
【平壌発=共和国創建50周年本社取材班】建国50周年を目前に控え、共和国では祝賀ムードがいよいよ最高潮に達してきた。首都・平壌は「共和国創建50周年を社会主義勝利者の大祝典として輝かせよう」をスローガンに、社会主義建設の成果で国慶節を迎えようと奮闘する人々の意気込みが感じられた。
8年ぶりに行われた7月26日の最高人民会議第10期代議員選挙を祝う「選挙慶祝」、朝鮮戦争勝利45周年(7月27日)を祝う「7・27慶祝」と、行事や記念日が相次いだこの1ヵ月半ほどの間に、平壌市内の街並みを彩る看板の文字は目まぐるしく変わった。
今はもちろん「9・9慶祝」一色だ。市内のあちこちで、看板を運んだりポスターを貼り出す姿が見られる。ほとんどが学校や企業所など各単位で独自に作成したものだ。
メインストリートのひとつ、ポドナム街に位置する金策工業総合大学では、学部、学科ごとに作ったポスターを正門前に掲示しており、市内を歩く人々の関心を集めている。
戦友街の一角に立てられた「領袖運・将軍運」などと書かれた看板に賢明に色塗りをしていたのは、中央衛生防疫所の労働者たちだ。120人の全職員が手掛け、10日間かけて完成させたものだという。
「今年の国慶節は、単に50回目という節目にあたるだけでなく、金正日総書記を最高人民会議代議員に推戴した最高の喜び、成果を持って迎えるだけに、筆にも力が入ります」。看板塗りに携わった医師のイム・ヨンスンさん(35)は誇らしげに語っていた。
国慶節を迎える人々の表情は一様に明るい。
暑い日が続いたせいか、大同江の川辺には水遊びを楽しむ子供たちのはしゃぎ声が響く。木陰で談笑する学生や、釣り糸の引きをじっと待つ太公望たちののどかな姿も目立った。
一方、3日からは中央写真展覧会と中央美術展示会が始まったほか、平壌サーカス劇場では記念公演が行われている。また、各地を代表する市民たちが参加する全国人民芸術祭典も催され、テレビ放映もされるなど、至る所で祝賀の雰囲気が広がっている。
南北総選挙経て創建
共産主義封じ込め
1945年8月15日、日本の植民地から解放された朝鮮は、民主主義自主独立国家建設を目指した。46年2月、新たな人民主権機関として北朝鮮臨時人民委員会が、翌47年2月には北朝鮮人民委員会が樹立された。
しかし事態は、統一政府樹立を願う朝鮮人民の願いとは裏腹に進展していった。
米ソは45年2月のヤルタ協定に基づき、朝鮮を支配してきた日本軍の武装解除のため、北緯38度線を臨時境界に北と南に進駐した。南では45年9月、米軍が上陸して軍政を敷いた。
同年12月、米ソ英によるモスクワ3国外相会議が開かれ、@独立国家としての朝鮮の民主主義臨時政府樹立 Aその援助のための米ソ共同委員会設置――などが決定された。それに沿って46年3〜5月と47年5〜10月の間に、平壌とソウルで米ソ共同委員会が開かれたが、共産主義封じ込めを政策化(47年3月のトルーマン・ドクトリン)していた米国によって破たんした。
そして米国は47年9月、朝鮮問題を国連に持ち込み、11月の第2回国連総会で国連監視下の南北総選挙統一案を採択。48年1月に「国連臨時朝鮮委員団」を南に派遣し、非常戒厳令の中で5月10日、南だけでの「単独選挙」を挙行した。
南北が連席会議
金日成主席は、民族の永久分断という危機に際し、全朝鮮人民の総選挙による統一政府の樹立を訴え、48年4月19〜23日に平壌での南北朝鮮の政党、大衆団体代表者連席会議開催を提案、実現した。
会議には、南北56の政党・大衆団体の代表695人が参加した。南からは「韓国独立党」の金九党首、過度立法議院の金奎植議長ら反共主義者を含む240人が代表として参加した。
会議では、朝鮮の統一実現、「単独選挙」の実施反対、米ソ両軍の同時撤退などを強く主張した。
しかし米国は国連をして「単独選挙」を合法と認定させ、8月15日に李承晩を「大統領」とする「大韓民国」を樹立した。分断固定化をはかるのを目的に、かいらい「政権」をでっち上げたのだ。
「単独選挙」無効を確認
一方、6月の南北朝鮮政党、大衆団体代表者協議会では、南で強行された「単独選挙」の無効を確認し、全国的な選挙を実施して最高人民会議を創設、中央政府を作ることを決めた。
この決議は朝鮮人民の熱烈な支持を受け、8月25日、朝鮮地域で総選挙が実施された。北では自由選挙のもと、有権者の99.97%が、南では地下選挙が行われ有権者の77.52%が投票に参加した。その結果、572人が最高人民会議第1期代議員に選出された。
9月2日、平壌で最高人民会議第1期第1回会議が招集され憲法を採択、9月9日に共和国創建が宣布された。
こうして見ると、朝鮮民主主義人民共和国が全朝鮮人民の総意に基づき創建された唯一の合法政府であることがわかる。
まさに共和国の創建は、@独自の政権建設路線と朝鮮人民の希望と要求、自主性と民族性に合った人民政権の誕生であり A大国による民族分断に反対し、祖国の自主独立と統一政府樹立を願う朝鮮人民の総意の反映だった。(基)