今年の抱負/もうすぐ21世紀――この時代、この見方
在日同胞社会にとって21世紀はどういう時代になるか――21世紀を目前に控えた1999年を迎え、この話題はこれまでにもまして現実味を帯びて語られそうだ。しかし、おぼろげながら見えてきた新世紀初頭のイメージは、在日朝鮮人運動にとって必ずしも平坦な道程とは言えない。激動の朝鮮半島情勢はなおも予断を許さない。昨年5月の総聯第18回全体大会で示された、在日朝鮮人運動での世代間の継承に関する課題は、目の前に山積している。そして何より、在日同胞らの生活基盤をなす日本経済は今年もマイナス成長の観測が強く、回復へと転換するかは疑問だ。前途は多難なだけに、この時代をどうとらえ、将来の展望をどう描くかが問われている。在日朝鮮人運動の新しい世代の担い手として、経済人として奮闘を続ける青商会の面々に、今後の抱負を聞いた。(文責編集部)
今すべきこと見極めて/共通の悩み武器に変え
東京都青商会 梁錫俊会長(39)
1998年は、悪かったと言うほかない。99年の見通しは、もっと悪い。商売の環境、景気の好不調について客観的に言えばどうしてもこうなる。
だからと言って、手も足も出ないわけではない。低コストで店舗を出せるし、アイデアが勝負の時だけに商売の中身を一新する好機だ。要はビジネスの将来像を描き、今すべきこと、できることを見極めることだ。
パチンコや焼肉など同胞経営者が多い業界は、このところ逆風に見舞われ続けたが、在日同胞にとって1世の時代から逆風が止んだことなどあっただろうか。
在日同胞はう余曲折の中でこんにちのような地位をなしてきた。ビジネスにせよ在日朝鮮人運動にせよ、今どう頑張るかによって、21世紀初めに変化が期待できると思う。
去る10月に、都青商会の会長に選ばれた。今年はまず、会員らが力を合わせて不況を乗り切れるよう、業種別の勉強会などを始動させたい。それも単なる親睦会ではなく、実際に自分の職場やビジネスに何かを持ち帰れる、有益な場にしたい。そうすれば、団結は力であるという認識も深まるだろう。同胞は携わる業種も似通っており、悩みも求めているアイデアも似ているから十分可能だと思う。
同時に、こうしてまとまった力をもって、朝鮮学校への支援や地域同胞を元気づけるイベントも行っていきたい。
朝鮮学校は同胞皆で支え合わねばならないし、朝鮮学校があってこそ同胞社会の存続も可能だ。朝鮮学校をどう守り、どう良くするか。同胞社会の幅を広げるために何をすべきか。在日同胞社会の将来のために、まさに今、行動を起こさなければならないこの2点において、青商会は最も重要な役割を担っていると自負している。
在日朝鮮人の歴史は、祖国の解放から数えればまだ50余年だ。なしたことも多いが、まだまだ世界を広げる余地はある。21世紀という時代を展望しつつ、前のめりの姿勢でチャレンジを重ねて行きたい。
1959年生まれ。東京朝鮮中高級学校を経て、東海大学卒業。遊技業、飲食店などを営む株式会社ヤナガワで専務取締役を務める。妻と4女。
障害を障害と思わず/組織、学校に元気を
愛知県青商会 黄元圭副会長(37)
朝大生の頃から「警備」という仕事に興味を持っていた。会社を興して6年目。公共工事を主にやってきたが、公共事業が削減される中で競争が激化している。環境は悪いが、環境に左右されないよう努力し、98年も業績を着実に伸ばした。
昨年初めて、創業から5年間を振り返った経営計画書を作成した。自分の意思決定の過程をたどってみると、傾向性がよく分かった。今年もとにかく業績アップを図って努力する。逆境のせいにしても、誰かの責任にしても仕方がない。すべて受け入れたうえで自分の力で打開していきたい。
障害を障害と思わないのが好きだ。実は3年前までビジネスでは通名を使っていたが、ある身体障害者の話に感動し、ビジネス上でも本名で通すことにした。警備の仕事は社会貢献に直結するので、本名で認知されることで在日同胞の社会的地位を向上させていきたい。そのためには今後、株式の店頭公開もし、メジャーを目指す。
社員は現在約90人。仕組みを作って人を動かすのはおもしろい。組織作りには民族教育と組織での経験が役に立っているが、今、組織の活動家に元気が感じられないのが寂しい。しかし、組織は絶対に必要だ。日本での生活は権利面など今も不安定で、社会の底辺で生きている同胞は多い。組織に力がないと、同胞の居場所がなくなってしまう。
青商会には結成準備委員会の段階から関わっているが、組織を活性化するため、正面からうって出ようという意気込みだった。稀薄化する民族性に焦点を当て、30代が力をつけられるような取り組み―勉強や情報交換、ネットワーク作りに力を入れていくことが課題である。今年も地域でのコンセンサス作りに力を入れたい。
3人の子供が通う愛知第2初級の教育会活動もしている。同胞社会の将来を考えると、強い組織が必要であり、そのためにも学校は不可欠。組織、学校が元気を失った大きな原因は困難な財政にあり、財政システムも大きく改善する必要がある。1世が作ったものを何としても3世であるわれわれが残さなくてはならない。
1961年生まれ。愛知朝鮮中高級学校を経て朝鮮大学校卒業。商工会勤務などを経て93年3月、高速道路規制などを行う有限会社東海セキュリティー設立。94年12月株式会社に。現在代表取締役社長。妻と1男2女。
厳しいからこそやりがい/攻めの姿勢でマイナスをプラスに
京都府青商会 韓直樹常任幹事(32)
1998年は年間売り上げ、契約件数ともに成長し、内容も充実していた。1人で会社を興してから5年間、こつこつと練り上げて来た戦略が、不況の中で生きたという実感がある。
つねに「自分がこの家に住む」という考え方で誠実に仕事をし、お客様に満足感をしっかりと感じていただけるよう努めてきた。とくに、徹底的にサービスに取り組むことで、「不動産業=怖い」というイメージを変えていきたいと思っている。
今年も経済状況は引き続き厳しいが、だからこそやりがいもある。同業他社が縮小、廃業していく中で、マイナスをプラスに変える攻めの姿勢でないと生き残れない。
わが社では今年、新たにリフォーム事業を始める予定だ。住宅投資が伸び悩んでいる中で、中古マンション市場が動き出している。大手にできない細かい部分で差をつける。物を売ろうとすると売れない。ニーズを把握して、客の気持ちをとらえることが大切だ。
同胞社会も完全に世代交代した。若い私に1、2世の商工人が話を聞きに来ることもある。しかし今後も、組織は絶対に必要だ。1人では、日本で朝鮮人として生きていけない。いまだにビジネスの現場での差別は多いし、私自身、組織に育ててもらったという気持ちがある。ただ最近、組織に活気や活力が薄れている。組織は人に感動を与えられなくてはならない。感動のあるところに人は集まる。そんな組織に変えていくのが私たちの役目だ。
こうした意味でも、青商会の結成は非常に嬉しかった。若い世代が在日朝鮮人としての生き方を考え、地域から全国へ輪を広げる組織を自分たちで作っているのは素晴らしい。
20歳の頃、在日同胞の人生の節目の行事、冠婚葬祭をすべて行えるような複合的施設を全国展開することを思いつき、ノートにびっしりとプランを練った。今見ると稚拙な内容だが毎日持ち歩き、たまに見て初心に帰る。いつかこの夢を実現したい。また、同胞が賃貸物件を借りるのは今も難しいが、不動産業に携わる者として改善していきたいと思っている。
1966年生まれ。京都朝鮮中高級学校卒業後、朝銀勤務などを経て93年、分譲住宅・設計・売買・仲介業の有限会社オーヤマハウジングを設立。代表取締役。妻と2男1女。2月に第4子誕生の予定。