こんなにいる世界のコリアン/560万人


 世界各国には、在日同胞を含め少なくても560万を超える海外同胞がいる。南朝鮮の在外同胞財団の試算(99年1月現在)によると、最も多いのが米国の205万7546人で、中国の204万3578人、日本の66万214人、CIS(独立国家共同体)の48万6857人と続く。カナダにも11万、中南米各国にも合計して10万人以上の同胞がいる。朝鮮半島から移り住むことになった歴史的経緯、現状はそれぞれ違えど、みな同じルーツを持つ朝鮮民族だ。先の試算に基づく分布図と、同胞人口ベスト4から日本を除いた米国、中国、CIS同胞の歴史を紹介する。

 

移民、亡命、流浪…/経緯は様々 

同胞人口ベスト4

米国 205万7546人 (36.5%)
中国 204万3578人 (36.2%)
日本  66万 214人 (11.7%)
CIS  48万6857人 (8.6%)

 

米国

今世紀初にハワイへ/ロス、NYにコリアンタウン

 在米同胞の歴史は他に比べて比較的に浅い。現在の在米同胞社会を形作ったのは、米国で1968年、国家・人種別の割り当てをなくした新移民法が発効した後、南朝鮮から渡って行った同胞たちだ。当時の軍政や経済不安、教育熱などを背景に、70年代には26万8000人、80年代には実に33万4000人が「アメリカン・ドリーム」を目指して海を渡った。

 最初の移民は1902年、当時の高宗王が国策としてハワイに移住させた約100人。労働力不足に悩むハワイの砂糖キビ農場主らが、当時のアレン駐韓米公使に要望したものだ。その後3年間で7300人がハワイに移住。よりよい労働条件を求め、徐々にアメリカ西海岸へと進出した。

 また朝鮮戦争(1950・6・25〜53・7・27)時に米軍と結婚した「戦争夫人」や、米国人養子となった「戦争孤児」が海を渡った。その数は65年までで1500余人になる。

 現在、ロサンゼルス(約65万人)、ニューヨーク(約49万人)にはコリアンタウンがある。

 

中国

植民地時代、大挙移住/東北3省に密集、自治州も

 在中同胞の大部分は、1900年代に入り朝鮮を植民地にした日本によって土地を収奪された農民と抗日活動家たち。満州地方の朝鮮人の数は、1921年には30万7000人に達した。日本は32年に満州国をでっち上げた後、土地を開墾するため全羅道や慶尚道出身の農民多数を強制的に移住させたので、同地域の同胞数はさらに増えた。

 それ以前にも、政治的な動乱などのたびに中国東北地方へわたった朝鮮人は多かった。1860年代には、大凶作に苦しんだ咸鏡道と平安道の多くの農民が中国東北地方に移動した。

 45年の祖国解放時に180万人いた同胞のうち80万人が帰国したが、47年の時点で約100万人が残り、中国の少数民族としての朝鮮族となった。

 朝鮮族は、55ある中国の少数民族の中で13番目に人口が多い。吉林省に120万人、黒竜江省に45万人、遼寧省に23万人が住む。吉林省には延辺朝鮮族自治州があり、他の地域にも人口や規模に応じて30余の民族郷や百余の民族自治村がある。

 

CIS

19世紀末から沿海州に/ロシア、カザフ、ウズベクに9割

 独立国家共同体(CIS)各国に住む同胞らも、在中同胞同様、日本の植民地支配を逃れ当時のロシア沿海州地方に流れていった農民が主だ。さらに1917年の10月革命後は独立運動家も大挙移動し、沿海州の同胞数は36年には20万5000人にまで増加した。

 最初の移民は1860年から20年間、沿海州に移り住んだ約1万人。清国から沿海州の割譲を受けた帝政ロシアが、人口の少ないこの地域を開墾するため、高い農耕技術を持つ朝鮮人の移住を奨励したためだ。

 37年8月、スターリンは沿海州の同胞20余万人の公民権を制限し、中央アジアのウズベキスタン、カザフスタンなどの集団農場に強制移住させる。しかし、スターリンの死後、56年に公民権が回復され居住地の制限も緩和、苦難の時期を逃れた同胞たちは都市にも進出していった。

 現在、9割以上がロシア、カザフスタン、ウズベキスタンに住んでおり、最大居住地域はウズベキスタンのタシケント州(8万6400人)。一方、サハリンには日帝時代、鉱山や軍需工場に強制連行された同胞ら4万人がいる。(韓東賢記者)