元「従軍慰安婦」宋神道ハルモニ、76歳のたたかい
在日朝鮮人の元「従軍慰安婦」として、ただ1人法廷で日本政府に謝罪と補償を求めてきた宋神道さん(76、宮城県在住)。東京地裁は1日、宋さんが「慰安婦」だった事実を認めたものの、「個人が加害国家に直接損害賠償を求める国際法はない」として訴えを全面的に棄却した。しかし宋さんは、「カネが欲しくて裁判やるのではない。日本の悪いクセを直さなきゃ」とこの日ただちに控訴を決めた。
「日本の悪いクセ直さなきゃ」/「めんこい」朝鮮の若者のためにも
「おれ、裁判なんておもしろ半分にやってんだ。どうせ政府は動かねえんだろ。でも行くんだ。おれの話、うそだと思われっといけねえから」
「おれは謝って貰いてえ。謝ってもらえばそれでいいんだ。金目当てじゃないってことを分かってもらいてえ」
「戦争で人殺しした軍人が恩給もらっていばって、おれはホゴ(生活保護)もらってる、税金食ってるって、白い目で見られる、それが悔しいのよ」
金目当てではない
1992年初め、「慰安婦」の情報集めをしていた市民団体に、宮城県に元「従軍慰安婦」が住んでいるという知らせが寄せられた。
そして、市民団体とともに電話で情報を受け付けていたルポライターの川田文子さん(55)が初めて訪ねた時から、宋さんは裁判のことをしきりに聞いていたと言う。
91年12月、金学順さん(故人)ら南朝鮮の元「慰安婦」たちが提訴する姿をテレビで見て、宋さんも秘めてきた思いを抑え切れなくなったのだ。
が、宋さんは迷っていた。弁護士や裁判所に払う金がない、裁判所に1人で行くこともできない、いくら本当のことを言っても裁判所が信じてくれないかも知れない…。不安要素はたくさんあった。
「誰も勝とうと思ってやるんじゃない。日本の国のクセを直さなきゃ。おれが裁判やるのは、なんで日本の国がやることをやらないのか、と訴えるため。おれは命投げてもやるよ」
決心は固かった。
93年の提訴から6年―。衆院議員会館前での座り込み、デモ、「慰安婦」生活を強いられた中国にも出向き調査し、国連人権委員会特別報告官の聞き取り調査にも臨んだ。
「朝鮮人キライ」
しかし、世間は宋さんを苦しめた。
「俺たちの金で生活保護を受けて食っているくせに、なんで裁判始めるんだ、文句があるなら韓国に帰れ」。地元から罵声が聞こえた。
たった1人のたたかいだった。この六年間、北海道から広島県まで、延べ1万人に体験を語った。150センチ足らずの体から発せられる怒りにみちた赤裸々な話に多くの人が引き込まれた。
ときどき「朝鮮人キライ」と吐く。
大阪での集会で在日の若者に囲まれ、入居差別の話が出た時のことだ。
「こんなにたくさんの朝鮮の若けえもん、どこからわいてきたんだ? めんこいなー、嬉しいなー、この若えもんがこれから苦労しないためにも、日本政府には責任とってもらいてえ、ちゃんと謝罪しないから、若えもんが差別されるんだ」
同じ同胞であれば、日本人以上に自分の辛さをわかってくれるだろうという期待が、「キライ」ということばに込められていた。
「悪いことをすれば反省して謝罪しなければならない。5本の指切って痛くない指はないんだよ。裁判官、どうぞ、血と涙があるならば、国にちゃんとやるように、判決出して下さい」(2月の最終意見陳述)(張慧純記者)
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