ニュースの眼/朝鮮戦争時の米軍の虐殺


 AP通信が朝鮮戦争(1950年6月25日〜53年7月27日)当時の米軍による住民虐殺事件を報じて以来、南朝鮮では連日、真相究明を求める声の高まりと同時に、他の虐殺事件も続々と明らかになっている。13日現在、その数は12件に及んでいるが、さらに増えることは確実だ。

 AP通信が9月30日に報じた老斤里虐殺事件というのは、朝鮮戦争が始まって間もない50年7月27日、忠清北道の老斤里という村で、米軍が住民らを避難させると偽って鉄橋の上に連れ出し300人以上を虐殺したというもの。

 事件直後の50年8月10日に「朝鮮人民報」がルポを掲載したのをはじめ、最近でも南朝鮮の良心的メディアが数回にわたって事件を取り上げてきた。本紙も97年10月9日付の朝鮮語版で紹介している。

 また60年には遺族らが米軍に請願書を提出し、米国政府や南朝鮮当局に事件の真相解明を求めていた。しかし「請願期間が過ぎた」(米軍)とか「証拠がない」(南朝鮮当局)との理由で、門前払いされた。

 事件が50年ぶりに日の目を見たのは、AP通信が機密解除になった米公文書から軍の虐殺命令書を発見したからだ。

   ◇    ◇   

 今年2月、老斤里虐殺事件をテーマにした論文を書いた忠北大学歴史教育課の崔炳秀教授(50、音訳)は、この事件が「戦闘と関連のない事件」だと指摘。虐殺の理由として(1)相次ぐ敗戦による重圧感(2)避難民に偽装した人民軍ゲリラの戦術に対する恐怖(3)避難民が作戦遂行の障害となるなどを挙げ、それらが複合的に作用したと分析する。

 当時、米軍は朝鮮人民軍の攻勢に敗走につぐ敗走を重ねていた。また表の(6)にもあるように米軍は、人民軍の侵攻をくい止めるために避難民がまだ通過中にもかかわらず橋を爆破し、数百人を虐殺した例もある。これらは崔教授の指摘を補完するものだ。

   ◇    ◇   

 しかし、崔教授の分析だけでは朝鮮半島北部における米軍の住民虐殺を説明できない。朝鮮社会科学院歴史研究所の資料によると、米軍は平壌など34の地域で17万2000余人の非戦闘員を虐殺している。

 とくに50年12月7日、黄海南道信川郡で起きた婦女子虐殺事件は米軍の残忍性をそのまま物語っている。米軍は2つの火薬庫に母親と子どもを分けて閉じこめ、ガソリンをかけて火を付けた。そして400人の母親と102人の子どもを含む910人を虐殺した。

 信川郡を占領した米軍司令官のヘリソンは「母親と子どもが一緒にいるのは、あまりにも幸福すぎるではないか。ただちに引き離して別々に閉じこめろ。そして母親は子どもを捜しながら死に、子どもは母親を捜しながら飢え死にするようにしろ」と叫んだという。

 現在、南朝鮮当局と米軍が協力して老斤里事件の調査にあたるとしているが、老斤里だけではなく、朝鮮半島全体を対象にした米軍犯罪の全面的な調査が必要だろう。 (元英哲記者)

 

AP通信が報じた米軍の発砲命令書

 米第1機甲師団命令(1950年7月24日)避難民が(防御)戦線を越えられないようにせよ。越えようとすれば、それが誰であろうと発砲せよ。女性と子どもの場合、分別を持って対処せよ。米八軍本部通信命令(同7月26日)繰り返さぬ。いつ、いかなる避難民も前線を越えることを許してはならぬ。米歩兵第25師団通信文(同7月26日)師団長ウィリアム・キーン少将は、戦闘地域で移動するすべての民間人を敵と見なし、発砲しなければならないと指示した。米歩兵第25師団ウィリアム・キーン少将命令(同7月27日)(南朝鮮住民は警察によって戦闘地域から疎開したので)戦闘地域で見つかったすべての民間人は敵と見なされ、それに伴う措置を取るであろう。

 

南朝鮮で報道された米軍の住民虐殺事件(10月13日現在)

48.6.8 慶尚北道・鬱陵島 独島付近で操業中の数十隻の漁船を米軍が無差別爆撃、150余人が死亡、行方不明
50.7.11  全羅北道・益山 米軍機2機が裡里駅(現在の益山駅)を爆撃、54人が死亡、300余人が重軽傷
50.7.27
    〜29
忠清北道・永同郡老斤里 米軍が住民を避難させるといって線路の上に連れ出し3日間、銃砲撃、300余人が死亡
50.7.末  忠清南道・大田市儒城区 村の上空に米戦闘機4機が現れて機銃掃射、50余人が死亡、10余人が負傷
50.8.1  慶尚南道・泗川郡昆明面 村の前の河川堤防に集まっていた住民を米軍機が機銃掃射、60余人が死亡、20余人が負傷
6  50.8.3  慶尚北道・漆谷郡及び高霊郡 洛東江にかかる2つの戦略橋を住民が避難中に米軍が爆破、数百人が死亡
50.8.11  慶尚南道・馬山市鎮田面 斉室(法事を行う建物)に避難していた住民100余人に米空軍と歩兵が無差別銃撃、83人が死亡
50.8.16  慶尚北道・亀尾市荊谷洞 B−29米爆撃機7機が爆弾を投下、100余人が死傷
50.8.20  慶尚南道・咸安郡郡北面  村の上空を米軍偵察機が通過した後、米軍戦闘機が現れて機銃掃射、100余人が死亡
10 50.8.22 慶尚南道・宜寧郡龍徳面 村の上空を米軍偵察機が旋回した後、米軍戦闘機4〜5機が現れて機銃掃射、30余人が死亡
11 51.−.− 慶尚北道・醴川郡普門面 村の上空を米軍偵察機が旋回した後、米戦闘機が6機現れて爆弾を投下、村は火に包まれ50余人が死亡、90余人が負傷
12 51.12.13 忠清北道・丹陽郡永春面 村近くの洞窟に避難していた住民を米軍機が爆撃、300余人が死傷