知ってますか――朝鮮半島初めて/サッカー


 国技のサッカー。2002年にはワールドカップが南朝鮮と日本の共催で開かれる。朝鮮にサッカーが入ってきたのは果たしていつのことだろうか。

 話は19世紀後半にさかのぼる。1882年、朝鮮で軍人の反乱が起きた。参加した軍人らはソウル西大門外の日本公使館を襲撃、火をつけた。日本公使、花房義質一行は仁川港に逃げ、たまたま停泊していた英国船「プラリンピシ」号に助けられる。

 この英国船の船員らが、まさに朝鮮にサッカーを伝えた張本人たちであった。船にいるのが退屈な船員らは、事あるごとに埠頭に降り、二手に分かれてサッカーの試合を行っていた。

 これを真似たのが、朝鮮におけるサッカーの始まりであるとされる。つまり、1882年には、サッカーは朝鮮に浸透していたということだ。だが、正式に競技が始まったのは、それから15年後の1897年である。

 サッカーが始まった当時の競技の状況を見てみよう。選手らは笠をとり、チョゴリの裾がなびかないよう長いベストを着た。靴はわら靴であった。

 出場者数に決まりはなく、両チームの数さえ同じなら良かったが、大体が15人前後だった。

 ゴールポストはなく、キーパーの背を越しさえすればゴールという、誠にアバウトなものだった。

 一方が力尽きてギブアップすれば、それで試合終了ということになった。また競技場の規格もなく、寺などの適当な空地などが利用された。

 官立の外国語学校を通じて導入されたため、同校出身者である外部主事チームと王宮通辯チームが朝鮮初のサッカーチームであったという。この両チームが一つになり「大韓蹴球倶楽部」が発足した。発足趣旨文には、「これ(サッカー)で人生の娯楽を創造し、これで国民の元気を花開かせよう」とある。