総聯分会代表者大会、新しい「かたち」作りのヒント


 16〜17日に東京で開かれた「総聯分会代表者大会―1999」には、地域の同胞コミュニティーを支える主役たちが多数参加した。困った時は助け合い、問題が起きれば日本の行政や総聯の支部・本部にもかけあい、家族ぐるみの交流イベントを開き、楽しいことはみんなで分かち合う―。分会は同胞の生活拠点だ。21世紀にむけた「新しい分会づくり」を提起した今大会。参加者の声、会場での発言から、今後の分会のあり方をさぐってみた。(関連記事6面)

 

生活に根ざす

 多くの分会長は、いま分会は岐路に立っているという。世代交代や核家族化が進み、「トンネ」が減少したこと、国民年金法の国籍条項の撤廃など目に見える差別が減少し、同胞組織に頼らなくても暮らしていけるという意識の変化が背景にある。分会は新しい「かたち」を問われている。

 その「かたち」を模索する今大会での分会長たちの発言に、今後の分会の「あり方」を教えられた思いがした。

 東京・中央江東支部枝川分会では、1941年に東京市(当時)が同胞を強制移住させた土地を、無償で提供することを東京都に求め、この間、日本の住民らとも協力し合ってきた。

 一方、兵庫・須磨垂水支部大池分会は、95年の「阪神・淡路大震災」で親族、家や職を失うなど、生活基盤が大きく崩れた同胞のため、生活相談の日を設け、安定した生活が送れるよう手をさしのべることを、活動の中心にすえてきた。

 同胞に目をむけ、生活に根ざした活動―。分会のスタイル、「あり方」は、今も昔も同じもの、受け継がれるべきと感じた。

 

アイデア出し聞く

 今回、各地の分会長に「あなたにとって分会とは何ですか?」と質問したところ「家族と同じ」と答えた人が少なくなかった。

 阪神大震災で最愛の息子を失った崔敏夫総聯大池分会長(58)は、震災後、全焼した分会事務所の建設に取りかかった。「ショックから立ち直れない同胞の、心の拠り所をつくりたい」という気持ちからだった。

 女性同盟埼玉・中部支部桶川分会の李紀栄分会長(54)は、26年間の分会長生活のなかで、生まれ育った長崎・対馬で朝鮮学校建設に奔走した父親をしばし思い出したという。

 「学校には、いつも同胞が集まってきていた。心の拠り所だった。そのような分会を作っていきたい」

 李分会長には、そのための構想がある。地域の老人介護と若いオモニたちの保育の問題を、分会がバックアップしていくことだ。

 アイデアを出し合い、意見を交換し、その生きた声で行政との交渉を進めていこうと思っている。

 総聯山口・宇部支部西宇部分会の尹功分会長(44)は、「一番辛かったことは」の質問に、「同胞の要求を正確に把握できなかったとき」と答えた。生活の手助け、心の支え…。様々な声が分会に送られてきている。

 同胞に問い続けること、歩み続けること−。地域をボランティアで支える分会長の姿勢に、これからの分会づくりの「ヒント」が隠されているような気がした。(張慧純記者)