春夏秋冬


 日本語の読み書きはできなかったが、オモニは毎日、日記を付けていた。小説を書くのが夢で毎夜、遅くまで本を読んでいた。そのオモニの遺品を整理していて、日記をみつけた。「きょうはどこそこへ行った。後はあれこれ」つたない朝鮮語で毎日の出来事が、2行ほど綴ってあった

 ▼オモニの最愛の娘が、事故で亡くなった日も日記は綴られていた。「◯◯が死んだ。死体を引き取りに行った。後はあれこれ」それから2ヵ月後、オモニは息を引き取った。毎日まいにち涙と溜息に明け暮れていた。末息子が慰めても「おまえに何が分かるのか」と、ものすごい剣幕で睨んだ

 ▼ほとんどの1世がそうだったように、オモニの人生も苦労の連続だった。朝早くから夜遅くまで働きづめで、「いつになれば楽になれるんだろう」が、口癖だった。それでも肉体的な苦痛は耐えることができる

 ▼戦中、戦後の食糧難で、2人の娘を亡くした。晩年になって長男と3女に先立たれた。親より先に死ぬことほど親不孝はない。その心の傷は、筆舌に尽くせないほど深い

 ▼女が故に、母親が故に、異境の地で暮らすが故にの悲哀と、そのなかで見つけた小さな幸せをオモニは小説にしたためたかったのだろう。が、娘の死という悲しみにさえも、たった2行しか表現する術を知らなかった

 ▼訴えたいことは山ほどあるのに、言葉が出てこない。取材相手からよく聞く言葉だ。1世だけではない。2世、3世も同様に、そう語る。オモニが書き切れなかったこと、2世、3世の訴えを代弁する、それが新聞記者としての原点だと思っている。  (元)