私の会った人/三浦綾子さん


 作家の三浦綾子さんが亡くなった。「氷点」「塩狩峠」など数々のベストセラーで知られる。数年前から筋肉が硬化していくパーキンソン病の悪化で膝と腰が曲がり、畳に座ったり、ベッドで横になるのさえ容易なことではなかった。

 私がお会いしたのは4年前。座るのも痛々しい感じだったが、言葉は明晰で、揺るぎない精神力に深い感銘を受けた。

 その時、三浦さんが最も怒り、悲しんでいたのは、元「従軍慰安婦」たちの告発を無視、黙殺する日本政府や国民の態度であった。

 「閣僚の中には朝鮮を併合したのは、悪いことではなかったとがんばる人がいる。戦争は正義のためにやったという高官がいる。人の家に大砲をぶちこんで女を連れ去って、何にもしていない、侵略していないと、どうしていえるのか」

 綾子さんの傍らには、献身的な看護を続けてきた、夫の光世さんがいた。「命ある限り、なお、終わらぬものに目をそらすことなく、作品を書き続けたいと願う彼女を支え続けていきたい」と光世さんは語っていた。

 30年も続く口述筆記はすべて光世さんが書き取った。夫妻の、穏やかな日常は、新しい作品への取り組みと壮絶な病とのたたかいによって支えられてきた。

 最後の小説となった「銃口」は、戦時中、弾圧された教師と、日本の過酷な抑圧にもめげぬ朝鮮の愛国者との出会いを見つめた作品。日朝間の過去を克服しようとする三浦さんのメッセージが通底していた。(粉)