知ってますか――朝鮮半島初めて/ケエ(契)


 かって、朝鮮半島には、相互扶助(ふじょ)を目的にしたケエ(契)と言う組織があった。

 高麗時代(918〜1392年)のホウ(宝=寺院などが主体となって設置した金貸し集団)の伝統をひき、李朝(1392〜1910年)末期に発展したものだ。

 「同じ地域に住む人や、互いに関連する仕事をしている人が、一定の目的のために金や、穀物などを出しあって積み上げ、それを利用したり、分けたりする集まり」のことを言う。

 生活の中で、一時に多額の経費を必要とする婚礼、チェサ(祭祀)、家屋・農地の購入などに備えた婚姻契、貯蓄契などが代表的なものだった。

 これらのケエは、加入者が等しい額を出資し、集まった資金をもとでにして貸し付けをしたり、購入した農地から得る小作料などによってケエの資金を蓄積し、必要に応じて加入者に一定の利益を給付していた。1単位の加入者は、4〜5人が普通で、多いときは、数十人から数百人に達したと言われている。

 ケエは、個人の特殊な事情や、影響力を極力排除するなど、全員の平等がはかられ、親族の枠を越えた個人的な信頼関係とネットワークをも築くうえで重要な役割を果たしていた。

 日清戦争(1894〜95年)後、日本はまず金融的側面から朝鮮を支配するため、当時の支配層と手を組んで矢つぎばやに銀行を設立した。また、その過程でケエを禁止しようともした。

 だが、家庭間で密かに行うケエを完全に取り締まることが出来なかった。

 日本は、プサン(釜山)に第一銀行支店を設立(1887年=初の近代的銀行)したのを皮切りに、植民地支配前後、漢城銀行(1903年)、農工銀行(1906年)、京城銀行(1914年)を通じて金融支配を強めていった。

 しかし、「助け合いの集まり」として生活の中に深く定着していたケエは、庶民の力によって生き続けた。そして、今日なお、南の庶民たちの生活と事業経営にとって最も身近で、かつ有効な短期融資の手段となっている。