わがまち・ウリトンネ(10)/福岡・八幡(2) 文炳浩、韓相奎


隔離された約3000人の連行者/喜びが爆発した祖国解放

 JR鹿児島本線八幡駅を降りると、北側に新日鉄の大規模な工場敷地が広がる。その西南部の一角には、全国で初めての、宇宙をテーマパークにした「スペースワールド」がある。

 かつてここに、新日鉄の前身である、日本製鉄の八幡製鉄所があった。

 前号で紹介したように戦前、そして戦時中、製鉄所周辺には、製鉄所と関連した土木建設工事、運搬輸送、雑役などについていた、同胞が多く集まっていた。そして戦争が拡大すると、不足する労働力を確保するため、製鉄所には多くの同胞が朝鮮半島から強制連行されてきた。

 連行がいつから始まったのかは定かではないが、1945年8月15日の時点で、製鉄所には2805人の強制連行者が工員として働いていたとの記録がある。

 彼らは今の「スペースワールド」の西側にあった、「ゆうえい館」という収容施設に入れられていた。

 60数年間、八幡で暮らす文炳浩さん(78)は、「『ゆうえい館』の近くに住んでいたが、彼らと話をしたことは、一度もなかった。それは、強制連行者だった彼らが一般市民とは隔離されていたからだ。逃亡できないよう常に監視が見張っていた」と言う。

 逃亡を試みても、すぐに見つかった。頼るところのなかった同胞たちは、同胞が集まる土木飯場に潜り込んだ。そのため連行されてきた際に撮られた写真をもとに、飯場の捜査が行われたのだ。

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 メモ 駒沢大学図書館所蔵の日本製鉄総務部勤労課がまとめた「朝鮮人労働者関係」(50年)の「労務者在籍人員増減表」によると、45年8月15日現在、八幡製鉄所をはじめ、全国6ヵ所の製鉄所に強制連行されてきた朝鮮人の総数は5555人と記されている。

 敗戦後、八幡製鉄所が福岡供託局小倉出張所に託した朝鮮人強制連行者に対する未払い金の内訳は、退職手当金14万66円40銭(1人当たり平均69円75銭)、賃金8万7214円89銭をはじめ会社貯金、旅費、弔意金など計28万8907円90銭となっている。

 これらは現在も、未払いのままである。

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 45年8月15日の祖国解放は、日本の植民地支配からの「民族の解放」、「重労働からの解放」とあって、朝鮮人のだれもが「マンセ(万歳)、マンセ」と叫び、喜びを分かち合ったという。

 「奪われた祖国と民族を取り戻したという喜びで感慨無量だった。国を奪われていなければ、日本に来る必要もなかったし、青春時代を重労働に奪われることもなかったでしょう」(文さん)。(羅基哲記者)