生き方エッセ―/「僕の生徒を見てください」 張末麗


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 先日の運動会でのこと。生徒たちのマスゲームに見入っていた私は、隣にいた同僚に「先生、教師になって何度目の運動会ですか?」と尋ねられた。

 「…うーん10回は過ぎてるわね」

 同僚は少し驚いた様子だった。

 そして「それじゃあ、卒業していった生徒とのエピソードなんて数え切れないほどありますよね」と、言った。

 確かにこれまで、相当数の生徒を社会、あるいは大学に送り出してきた。それもそのはず、高3の担任を受け持つことが一番多かったのだから。

 高校3年の1年間は、12年間の学生生活の仕上げであり、とりわけ修学旅行(朝鮮訪問)や進路問題などもあって、教師と生徒は身内のようなつながりになる1年である。

 右も左も在日同胞の友人に囲まれ、当たり前のように高校まで上がってきた彼らの大半が、ここで初めて一大事を経験する。自分の夢や希望、親の思い、そして朝鮮人としていかに生きていくべきか、思い悩み、葛藤する。

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 K君の場合もそうであった。ある日、「先生、俺、実は大学へ行きたいんです」と、いつも冗談ばかり言っている彼がまじめな顔で突然、相談してきたのである。

 これからの同胞社会に夢をはせ、ウリハッキョ(朝鮮学校)で体育の教師になりたいと、ひそかに思ってきたのだが、親の反対もあってか、なかなか言い出せなかったらしい。

 私は彼に一生懸命勉強すること、そうすれば両親を説得すると約束した。

 家庭訪問の日、私はタイミングを見計らい、彼の気持ちを両親に告げ、ぜひ進学させてほしいと頼んだ。教師になって、たくましい朝鮮の子をたくさん育てたいという彼の純粋な気持ちを、私は切々と訴えた。

 私の熱意とK君の気持ちが少しは通じたのか、アボジはしぶしぶとだが承諾してくれたのだ。その時の本人のうれしそうな顔は、今でも忘れられない。

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 勉強に打ち込んだかいがあって、朝鮮大学校に進学できた彼は、その2年後、念願かなって体育の教師になった。

 両親は大学への進学は許したもののまさか、本当に教師になるとは思っていなかったらしく、「先生、勘当されちゃいました」と言って、彼は遠く離れた地方の学校に赴任した。

 この夏、ウリハッキョの中央体育大会に出場するため生徒を引率してきた彼に、久しぶりに会った。

 「サッカーに出たかったんですけど、予選で負けてしまったので、陸上の試合に出します。先生、僕の生徒たちを見てください」。

 彼のりりしい姿に、胸が熱くなる思いがした。「勘当した」アボジとも、最近は少し話すようになったという。

 異国で生まれ育った3世たちが、自分の中にある「民族」をしっかりと受け止め、前を向いて歩いていく姿に、民族教育の大切さを改めて感じる。

 (ちゃん・まるりょ、神奈川朝鮮初中高級学校教師)