生き方エッセ―/自分を再発見する自分史 高秀美
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自分史のようなものを何年かにわたって書き続けている。こんな風に書くと、すごい大作でも手がけているのかと誤解されそうだが、発行する度に「まだやっていたの! 」とあきれられる同人誌に、細々と書きつづけているにすぎない。
結果的に年月がかさんでしまっただけで、たいした分量になっていない。
子どもの時の記憶を手がかりに書いているのだが、書いている人間が年を取れば、実際の体験からは時間的にどんどん遠ざかることになる。もしも、これが体験レポートだったり、新聞の取材ということであれば非常にまずいことだ。
ところが不思議なことに遠い過去の記憶については必ずそうとも言い切れない。その記憶を呼び起こす作業をする時には、少なくとも10年前よりは5年前、5年前よりは今の方がずっと記憶の映像は鮮明だ。音、声、匂い、味、…についても同じことがいえる気がする。
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最近、耳について離れないのは、今はもういない祖父母たちの私を呼ぶ声。
「ヒテミ」。
「ヒデミ」ではなくて「ヒテミ」だ。
子どもの頃、私は「ヒデミ」と呼ばれていた。秀美をそのまま日本式に読んだもので、高校までその通名で通した。大学に入ってから「スミ」を使うようになり、しだいに回りのみんなに認知させていったが、祖父母たちだけはその後もずっと「ヒテミ」と私を呼んだ。
そんなことが何かの弾みに浮かび上がってきたりする。この種の記憶は頭で一生懸命に考えて出てくるようなものではない。
長い時間の中でよけいなものがそぎ落とされて、体験の原形がポロッと出てきたようなものといえる。
そんな記憶がよみがえるとワクワクしてくる。自分を再発見する手がかりが見つかる気がする。
「そうだ、私は祖父母たちにとって自分たちの言葉の通じない初めての肉親、孫だった」
それは私という人間の形成にとってどんな意味をもつ経験なのか。あるいは、私と同じ状況におかれた朝鮮人にとって。そしてそれはただ朝鮮人のみならず、どの国のどの民族の人々であっても同じ意味をもつものなのか、違うのか。行きあぐんでいた思いが新たな出口を目指して動き始める。
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何で過去のことばかりにこだわっているのかと聞かれることがよくある。ましてや、名もない私のような存在が自分にこだわり、克明に書き記そうということに。
それは人に言われるまでもなく、ずっと自分に問うてきたことだ。
だが、誰が過去についてちゃんと知っていると言い切れるだろうか。いつだってただ体験し、通り過ぎるだけで精一杯だったのではないだろうか。
いや、本当のところ何故、自分史なのか、今はまだわからない。埋もれた記憶が10年、20年たってある日、ひょこっと顔をだすように、わかる時がくるかも知れない。
(こう・すみ 東京都保谷市在住、編集者)