知ってますか――朝鮮半島初めて/金属活字
文字の発明は、人類の文明発展の出発点だった。
最初、筆写という原始的な方法で文字を伝達した。ついで印章を彫り、それを捺印(なついん)するという方法を取った。
そして、年月が経過する中で経験を蓄積しながら、1枚の木の板に多数の文字を彫りつけて記録するという木版印刷を編み出した。便利で美しい木活字は、文化活動を飛躍的に発展させたが、それをより以上に活発なものにさせたのが、金属活字の登場である。
文化史上、特筆されるべき木版印刷と金属活字。それが発明されたのが、文明発祥の地、中国や中近東、そしてヨーロッパではなく朝鮮半島だった。
今回は金属活字だけを取り上げるが、これを使って印刷したという世界で最初の記録が残っているのは、高麗時代(918〜1392年)の書「新印詳定礼文」の跋文(ばつぶん=書物の終りに書く文)である。
この中で、同時代を代表する文学者・李奎報(リ・ギュホ、1168〜1241年)は、「高麗の仁宗(1127〜1146年)の時に、『詳定礼文』50巻が出来たが、長い年月が立つにつれてページと文字が欠けてきたため、残り一部を鋳字で28部印刷して分散保管させた」と書いている。
この記録に従えば、金属活字は少なくとも江華島への遷都(1232年)以前には、作られていたということになる。
金属活字は、海草類の繁茂する浅海の海底砂を平らにつめて乾かした後、その上から木活字を押しつけて鋳型を作り、そこに黄銅の溶融液を注ぎ込む方法で製作された。
ドイツで、ヨハン・グーテンベルグがローマ字の金属活字を使って印刷したのは1450年である。それより200年以上も前に朝鮮半島では、金属活字が実用化されていたのだ。
ちなみに、木版印刷は新羅時代、少なくとも751年以前に発明された。