「民族」と「国籍」在日朝鮮人として生きる(下)


悩まず同化/目に見えない差別構造

将来性に責任

 京都市の仏教大学3年の朴賢憲さん(21)は、小学校からずっと日本の学校で「松岡」を名乗ってきた。しかし、大学入学と同時に「馴染みのない本名」を名乗った。

 「ぼくにとって、朝鮮人として生きることを宣言できる最後のチャンスだと思ったからだ」と、言う。

 名前に特別な思い入れがあったわけでもない。自分が朝鮮人であることを強く意識したことは、高校までに2回あった。

 修学旅行がハワイと決まり、自分だけ再入国許可書を手にした時と、卒業証書に本名が書かれていた時だった。

 「同級生や先生が妙に気を使ってくれた」。有り難いとも思ったが「妙」な気がした。

 「朝鮮人であることが、そんなに問題なのか」

 朴さんは、誰かに対したものではないが、反発心がわいた。

 朴さんはまず、朝鮮人であることの証明として、他人に示せるものとして、本名を名乗ろうと決めた。だが、「国籍」がなければ、そんな考えにも及ばなかったはずだ、とも言う。

 朴さんは最近、「将来は他人に影響を与えられる仕事につきたい」、そう思い始めた。「金儲け」をしたいという考えが、変わってきた。

 朴さんには、帰化した友人がいるが、「彼らには在日朝鮮人の将来に責任はないが、ぼくにはある」と、「今」ではなく、「これから」のことが違ってくると朴さんは言う。

 

国際結婚

 世界88ヵ国で34ヵ国語を扱っているリンガフォン総研株式会社に勤める呉昌実さん(26)は、「民族学校に通わなければ、今の自分はない」とためらいなく言い切る。

 大阪朝高を出て、柔道をやりたくて東海大に。アジア大会には朝鮮の代表として出場した経験もある。

 だが、大学卒業後、自分が経験するはずもないと思っていた国際結婚をした。大学時代に付き合っていた日本人女性とそのままゴールインした。

 「会社で本名を名乗るのは、当然だ。トルコ人やバングラデェシュ人もいるし、その中に、呉がいても不思議はない。皆、外国人でいることをハンディだと思ったことはないはずだ」

 しかし、今、悩んでいるのは、自分のことではなく生後3ヵ月の娘のことだ。

 日本、朝鮮ともに父母両系主義をとっているため、娘の国籍は2重国籍となる。

 「娘には、多くの選択肢を与えてあげたい」といいながら、それでも「父親の生き方を理解してくれたら、それはうれしい」と、言う。

 朝鮮人として生きるかどうかは、自分が決めることだが、一番大切なことは、「次世代が、朝鮮人として生きていきたいと思うような、環境作りに尽力することだ」。

 

ない非差別体験

 東京朝鮮中高級学校で国語(朝鮮語)を教える白明姫さん(36)は、民族的なものに触れる機会が多いためか、「国籍」など意識せず育っている生徒たちが、社会的に見れば、実は少数であることを実感している。良い環境で育つことは大事だ。だからこそ、生徒たちの卒業後が、さらに重要になってくると言う。

 被差別体験を持たない、30歳代までの若い世代の間で最近、帰化者の数が7割以上を占めている、との統計がある。

 一見、さほど悩まず同化していることを示すデータ結果とも取れる。白さんの心配はここにある。

 裁判を重ね、帰化後本名を勝ち取った京都市在住の朴実さん(55)は、そうした若い世代について、「国際結婚に伴う、2重国籍状態での日本国籍取得の増加が原因の一つだと思う。行政は本人の葛藤などと関係なく簡単に日本国籍者を作る。日本中でなし崩し的に帰化させられていると感じる。だから意識化が必要だと思う。何よりも自分自身の歴史を大切にしてほしい」と言う。

 表面上、差別構造は目に見えにくくなっている。個人の意識化を促す努力が必要だろう。(金美嶺記者)