生き方エッセ―/ウリマルの美しさに魅了され 李承玉


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 在日同胞でありながら、平壌演劇映画大学で6年間学んだ。今、国家学位学職を得るための論文審査を目前にしている。

 私が、大学で学ぶようになったのは、母国語であるウリマルの美しさに魅了され、祖国の人々より、また、在日同胞の誰よりも流ちょうなウリマルを話せるようになりたいと思ったからだ。

 この大きな夢を抱き始めたのは、高校生の頃。そして、歌劇団に入団した後、何度も訪れた朝鮮での国家行事、日本全国はもちろん、海外での舞台に立つに連れ、もっともっと「ウリマルの達人」になりたい、いつでもウリマルと接していたいという思いは、私の中で日増しに強くなっていった。

 言語は民族を語るうえで、もっとも重要なものだと痛感した。朝鮮人である私を一番ストレートに表現できるのが言葉だ。私は、舞台で「ウリマル」を口にする時、心の底から誇りのようなものを実感するのだ。

 それは、私にとってはとても自然なことだった。

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 でも、そう願いながら、夢に近付くために一体、何をどうクリアすればよいのやら…、そんな時、まさにチャンスが訪れた。平壌の大学への留学の話だった。しかし、ためらいもあった。歌劇団の団員であり、主婦、オモニという立場と、なんといっても30代半ばで「学生」をやるなど楽なはずもない。それこそ自分とのたたかいだ。だが、決心した。

 1年に2回、夏と冬に1カ月間の滞在中は、1日中大学の講義に追われ、日本に帰ってからは、科目別レポート提出で、公演先の楽屋でも教科書づけ、レポートづけの毎日となった。もちろん家事の後も…。そしてこれでもか、これでもかと私を苦しめた国家試験の嵐、何度弱音をはいたことか。

 だが、朝鮮で出会った南の人々、米国、カナダ、中国、ロシアなど、海外同胞らは一様に「本当に日本で生れ育ったの」と聞く。そんな時、私は誇らしげに胸を張って、民族教育の素晴らしさと、こうして祖国を訪れ、舞台に立つだけでなく、勉強までできる幸福を伝えるのだ。

 そして、この体験がさらに上を目指したいという思いへとつながって行く。

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 大学研究院終了まで、あと一歩、惜しむことなくすべてを注いでくれた恩師たち、私自身とその夢まで受け止め、理解し応援してくれた主人と娘たち、家族への感謝で胸が一杯だ。そしてこれから同胞社会で私にできる事、やるべき事は何かと日々問い掛ける。

 私が愛読した小説にこんな一節がある。

 「…人が過去を語る時、明るい笑いと、楽しい思い出を真っ先に思い浮かべることは良いことだ。

 そんな人生は決して後悔する事も、人をうらやむ事もないであろう…」

 私は、そんな生き方をしたい。

(り・すんおく、金剛山歌劇団嘱託団員)