日朝友好都議連メンバーら、埼玉・高麗神社訪れ/古代朝・日史に学ぶ
「古代の朝・日交流史から学び、草の根的な交流運動を盛り上げていこう」――。8日、日朝友好促進東京都議会議員連盟(88年12月発足)と東京―ピョンヤン友好交流会議(96年4月発足)のメンバーら30余人が、渡来人の足跡を今に伝える埼玉県日高市の高麗神社を訪れた。閉ざされていた、政府間の朝・日関係に変化の兆しが見え始めた時期の試みに同行取材した。
「文化は政治を越える」/草の根 交流の促進を
高句麗の人々が開拓した地
蛇行しながら東に流れる清流、うっそうと生い茂る杉林。山水に囲まれた高麗郷と呼ばれる一帯は1200余年前、朝鮮半島から渡来した高句麗の人々によって切り開かれた。
朝10時、新宿区の都議会正面玄関前から1台のバスに乗り込んだ一行が高麗神社に到着したのは、午前11時30分。1時間半の行程である。
まず一行の目に止まったのは、境内の門の両脇に立つ高さ4メートル余りの朱塗りの「天下大将軍」というトーテムポール。
これは「将軍標(チャングンピョ)」と呼ばれる。朝鮮半島に伝わる、悪魔退治・災厄防除の守り神で、今もこの地の人々に広く知れ渡っている。
高句麗の王族・若光(じゃっこう)を初めとする1799人がここに渡ってきたのは、716年頃といわれる。高麗郡を置き(「続日本記」)、農耕技術や焼畑の方法などを伝えると同時に、騎馬民族としての血からか牧場経営も行った。古代朝鮮の文化・技術を、日本に広めたゆかりの地である。
郡の首長として渡来人を統率し、この地の発展に尽力した若光を神として祭る高麗神社。
都議会公明党の谷口卓三議員(友好議連副会長)は、「歴史と文化の息吹が伝わってくる」と感慨深げだ。「古代の交流はとぎれることなく続いた。今の日朝関係も早く正常化へと向かわなければ」。
動物交換などの橋渡的役割を
神社内に国の重要文化財として指定、保存されている高麗家などを見て回った後、一行はそこから約300メートル離れた、若光を供養する聖天院に向かった。
四季折々に様々な花が咲き乱れるという広い境内には、重厚な建築物が立ち並ぶ。訪れる者に、いやがおうでも歴史というものの重みを感じさせる。
都議会議会局調査部の鷲見博史副参事は、「歴史的に深い関係にあった日朝。現在の私たちの生活とも、密接にかかわっていることを改めて感じずにはいられない」という。
そして、「国と国の関係が冷え込んでいる今こそ、草の根的な交流を促進していくべきではないか」と指摘する。
日本婦人会議都本部の井上好子議長も、「交流がとぎれることがなかった歴史に学び、異なる民族文化を率直に受け入れることが大事だ」と語った。
「文化は政治を越える」。参加者たちは、異口同音にこう強調した。
友好議連の河合秀二郎事務局長(都議会民主党幹事長)は、「生活に密着した交流を行うべきだ。ピョンヤンの中央動物園―上野動物園との動物交換、サッカーなどのスポーツ、といろいろとある。橋渡しの役割を担っていこう」と、参加者に提起していた。(金英哲記者)
朝大、金剛山歌劇団も
高麗神社参観後、一行は東京・小平市にある朝鮮大学校、金剛山歌劇団を訪問した。
朝鮮大学校では、朝鮮歴史博物館に所蔵されている歴史遺物や資料などを見学した後、南時雨学長、教職員たちと懇談した。
一行の趣旨を聞いた南時雨学長は、「21世紀にむけて朝・日交流の担い手となる人材を育てていきたい」と語った。
金剛山歌劇団では、団員たちの練習風景を見学、懇談を通じて相互理解を深め合った。