取材ノート/人とのコミニケーションを忌避する若者たち
先日、映画「マトリックス」を見た。
当初は、「金融腐敗列島・呪縛」を見るつもりでいた。公開前後の大キャンペーンが逆効果となったのか、それとも腐敗に立ち向かう中高年(ミドル)たちの苦悩を描いた映画に若い人たちが興味を持たなかったかはさておいて行った都内の映画館では、午前10時半からの上映1回限りとなっていた。
これといったものがなく、とりあえず「マトリックス」にしたが、場内は、若いカップルでいっぱい。気恥ずかしさを感じながらも、前の方の席に座り映画を見ることにした。
鑑賞後、外に出る途中で、あるカップルの会話が耳に入ってきた。
「俺、今日会社やめた」「え、本当。なぜ」「上司が気に食わなかったから」「じゃ、フリーターにでもなれば…」
その軽さに呆気にとられた。
日本の若者は、いま様々な不安を抱えている。その不安は、個々の不満となって、国に、職場に、学校に、家庭に対して、向けられている。おそらく不安とは、その理由を自分で知ったときは、不安ではなくなる。
なんであるのか分からないから不安なのであり、その結果、自らを表現し、他人に伝えようとする意欲が低下し、人と外部とのコミュニケーションを忌避しようとする「郵便的不安」(哲学者・東浩紀氏)に陥る。
彼らは、「定職」などといった枠のはまった人生コースを拒否し、かっこいい「フリマ的な人生(自己労働の即売り)」を選択しているのかもしれない。だから、「呪縛」を「オジン」くさいと思い、見ないのでは。ともあれ、「マトリックス」の主人公のようなかっこよさを追い求める彼らの姿をみて、ある種の危うさを感じずにはおれなかった。(金英哲記者)