取材ノート/トンネの精神は生きている


 「あの頃は、同胞と会わない日は何か罪を犯したような気持ちになったものです」

 その時、私は少々疲れ気味だった。本紙で連載中の「ウリトンネ」の取材のため、神戸市長田区を訪れていた。長田になぜ同胞が多く住むトンネができたのか。その歴史的経緯を知る1世を探し歩き、いつの間にか夕方になっていた。

 日もとっぷり暮れた頃、姜仁淑さん(83)に会えた。1960年代半ばから20年間にわたって女性同盟の活動をしていた方だ。トツトツと話す姜さんの口から出たのが冒頭の発言だった。ハンマーで頭をガツンと叩かれたような衝撃を受けた。同時に疲れはどこかにふっ飛んでしまっていた。

 「トンネ」の取材で、これまで東京の枝川、広島の白島と呉、神戸の長田を訪れた。トンネと言える場所はほとんど残っていない。様々な事情が重なり、同胞らが散り散りに暮らすようになって久しい。同胞同士、毎日顔を合わせることも少なくなった。

 「昔はトンネがあったから、何かあればすぐにみんなが集まって解決策を考えたものです」、「昔はもっと情がありました」

 取材先で1世からこう聞かされることもある。時代が変わったと言えばそれまでだが、1世らが一抹の寂しさを感じるのもうなずける。

 しかし、トンネの良さはしっかり生きていると感じられたことも多い。長田では、出張中の父母の代わりに子供らの食事の面倒を見る同胞に会った。子供らも自然になついている。普段からの人間的つきあいがなせるわざだ。

 「空間的なトンネはなくなりつつあるが、精神的なトンネは残っている」

 ある同胞の言葉がふと思い出された。(文聖姫記者)