取材ノート/仕組みの見直しに耐えられるか
日本の経済構造改革について取材する中で、目についた文章がある。堺屋太一経済企画庁長官の名による、今年版「経済白書」の巻頭言だ。
入門書から専門紙まで、この分野の資料を繰らない日はないが、「白書」はオーソドックスな部類に入る。その一文が目を引いたのは、官製本でありながら、「護送船団方式」に代表される従来の官製経済を厳しく批判しているからだ。返す刀で、そこに安住してきた民間の慣習にも切り込んでいる。
いわく、「官僚規格に従順なことが優秀な組織として評価され」「臆病は慎重といい換えられ、旧習の踏襲が『粛々とことを進める』と美化された」などなど…。その弊害については、「こうした中では夢も冒険心も育たない」「これがそのまま将来も続くとすれば、この国は『老いたる先進国』になってしまう」と断じている。
白書には毎年、その時の経企庁長官の名による巻頭言がある。普通は1ページで、恐らくは官僚の手による無味乾燥な文章だ。それが今年版は九n、堺屋氏の書き下ろしと思われる。
ここでは、堺屋氏の実際の手腕や、日本政府の経済政策の良し悪しは敢えて問うまい。ただ、この国の指導的なポジションに、「日本型」と冠される思考や仕組みを脱ぎ捨てようと考える人がいることは確かのようだ。
少し前には「無敵」とはやされた日本経済だが、過去の栄光にすがることの無意味さは、今や誰もが認識している。成功体験には答えを求めず、失敗の本質を見極めようと必死だ。
仕組みの見直しは、政治経済、生活の広い範囲で進む。勝ち残るには、時代の先端にいなければならない。同胞企業、同胞社会、同胞の組織はどうだろうか。時代の流れを、しっかりとらえて行きたい。 (金賢記者)