日本政党代表団訪朝/今度こそ合意を実践へ
今世紀中のことは今世紀中に/双方の意思が合意に結実
平壌4日発=金志永、李鉉民記者 「こうした類のサインをするのは4回目になるが、もう5回目はないことを願いたい。そのために共に努力しましょう」
「全面的に同意します」
両国政党代表らの間から笑い声がこぼれるなか、双方の団長である朝鮮労働党の金容淳書記と村山富市元首相・衆院議員は共同報道文にサインした。
政府間会談再開の環境作り
1〜3日、日本政党代表団が平壌を訪れ、朝鮮労働党代表団と会談し、朝・日関係の改善と関連した一連の問題を討議した。これに沿って両代表団は3日、可能な限り早く不幸な過去の歴史を清算し、両国人民の利益に沿うよう朝・日関係を改善、発展させるため(1)国交正常化のための政府間会談の早期再開(2)人道問題の解決(3)交流と往来の強化――で自己の役割を果たしていくことについての合意を、共同報道文の形式で発表した。
朝鮮労働党の招請で平壌を訪問した日本政党代表団の目的は、「日朝政府間会談再開のための環境作り」(村山団長)だった。その実現のため、すべての主要政党の代表らで訪朝団を構成した。
昨年の「ミサイル騒動」以後、朝・日関係は極度に悪化した。この間、朝鮮は日本が敵視政策を改めるよう一貫して主張してきた。
朝鮮側は、今回の日本政党代表団の平壌訪問と関連し、日本側が「前提条件なしの会談再開を主張したことについて特別の関心」(金容淳書記)を向けた。結果的に、平壌で行われた両代表団の会談は個々の懸案の解決策を探る実務協議ではなく、朝・日関係改善に対する双方の政治的意志を改めて確認する場となった。
20世紀のことは20世紀中にかたをつけ、21世紀を迎えなくてはならないという両代表団の共通の意志が、会談全般の雰囲気を引っ張っていた。またそれが、共同報道文の内容に集約された。
訪日すれば総書記の「親書」を伝える
1990年代に入り、日本の政党代表団は3回にわたり平壌を訪問し、そのたびに両政党間で合意がなされたが、朝・日関係における根本的な変化までには至らなかった。
今回の日本政党代表団の平壌滞在中、朝鮮側はこの問題について繰り返し指摘し、日本側も今回の合意内容を実践していく決意を機会あるごとに表明した。2000年代を目前にした時期に実現した朝・日両国の政治家たちの対話の場でとくに強調されたのは、合意の精神は必ず実践で証明されるべきだという点だった。
会談中、日本政党代表団は朝鮮労働党の金正日総書記に宛てた日本首相の小渕恵三・自民党総裁名義の親書を伝え、朝鮮労働党代表団を日本に公式に招請した。
これについて金容淳書記は、今回の合意に沿って人道問題が順調に解決し、過去の清算と関係正常化のための政府間会談においても前向きな成果が出た時、朝鮮労働党代表団が訪日するだろうと指摘し、「その時には、金正日総書記から日本の首相である自民党の小渕恵三総裁に宛てた親書を伝えることになるだろう」と述べた。
日本政党代表団が宴会
日本の政党代表訪朝団は訪朝と関連して2日、平壌市内の高麗ホテルで宴会を催した。
宴会には朝鮮労働党の金容淳書記と金養建部長、宋浩京副部長と関係者が招かれた。衆院議員の村山富市元首相を団長とする代表団メンバーと随行員、外務省官吏、その他関係者、日本の主要報道機関の記者が参加した。
村山団長は演説で、日朝関係には難しい問題があるが、互いに対話をすることが重要であると述べた。
また、平壌は大変美しい都市であり、深い感銘を与えると述べ、多くの日本の人たちがここに来て平壌の美しい景色を見学し、また多くの朝鮮の人たちが日本に来る日を想像してみたと語った。
そして、代表団の訪朝が一つの契機になって、両国が近くて近い国になることを希望すると指摘した。
次に演説した金容淳書記は、今世紀に起きた忌まわしい過去の歴史清算と、関係正常化のための朝・日政府間会談をいかなる前提条件もなく再開し、人道分野で提起される懸案問題を赤十字のラインで解決し、政党間の交流を発展させることについて指摘した。
また、朝鮮労働党は朝・日関係の進展のために努力すると強調した。
錦繍山記念宮殿などを訪問
村山富市元首相を団長とする日本政党代表団は2日、錦繍山記念宮殿を訪れた。
代表団は金日成主席の立像に敬意を表した後、生前の姿で安置されている主席にあいさつした。
続いて、主席に各国から授与された勲章とメダル、主席が現地指導と外国訪問で利用した列車と乗用車を見て回った。
一行は、訪問録に一文をしたためた。
代表団は同日、チュチェ思想塔と平壌地下鉄も参観した。
代表団は3日、万景台にある金日成主席の生家を訪問した(以上、朝鮮通信)。